相島は、福岡県糟屋郡新宮町に位置する有人島で、玄界灘に浮かぶ美しい自然と歴史に彩られた島です。新宮海岸から北西に約8km離れた場所にあり、観光地としても注目されています。地名としても「相島」は福岡県糟屋郡新宮町の大字にあたり、全島がこれに該当します。
相島は面積約1.25平方キロメートル、周囲は約8キロメートルの広さを持ち、標高50~70メートル程度の台地状の地形が特徴です。島の東端には「めがね岩」(鼻栗瀬)と呼ばれる海食によって穴の開いた岩があり、この景観は新宮町のシンボルとしても知られています。
相島は「猫の島」としても知られ、多くの野良猫が生息しています。そのため、英字新聞やCNNなどの国際メディアでも紹介され、観光客に人気のスポットとなっています。島内では30年以上にわたり野良猫の継続調査が行われており、最近では不妊去勢手術による頭数管理も行われています。
相島は「猫の島」という愛称で親しまれています。猫が多く生息しており、その様子は「野良猫の天国の島」として海外メディアにも取り上げられました。観光客による猫への餌やりは禁止されていますが、島の猫たちは地域住民によって適切に管理されています。また、相島は猫以外にも、豊かな自然環境と共に観光客を迎えています。
相島積石塚群は、国の史跡に指定されており、4世紀から7世紀にかけて作られた古墳群です。島の東部に位置しており、254基にも及ぶ石積みの古墳が海浜部に点在しています。歴史的価値が高い一方、足場が悪いため見学の際には注意が必要です。
朝鮮通信使関連墓地は、朝鮮通信使が福岡藩に接待されるために相島を訪れた際、遭難した人々のために建てられた墓地です。この墓地は島の歴史的な出来事を物語る場所であり、歴史に触れる貴重な機会を提供しています。
日蒙供養塔は、元寇(げんこう)の際に島に流れ着いた日本人とモンゴル人の遺体を供養するために建てられた供養塔です。この塔は、相島における歴史的な出来事を象徴する場所で、島の過去に想いを馳せることができるスポットです。
剣神社は、明治時代初期に出土した刀剣が祀られている神社です。この神社は、武器にまつわる神聖な場所として知られ、多くの参拝者が訪れます。
山の観音堂は、相島の歴史的な信仰の中心地です。観音菩薩が祀られており、古くから地域の人々に大切にされてきました。
高妻神社は、相島にある由緒ある神社の一つで、地域の信仰の対象です。参拝者は島の自然とともに神社を訪れ、穏やかな時間を過ごすことができます。
恵比寿神社は、相島の漁業の守護神として祀られている神社です。漁師たちの信仰が厚く、島の漁業文化を感じることができる場所です。
朝鮮通信使関連波止場は、かつて朝鮮通信使の船団が接岸していたとされる波止場で、漁港の付近に位置しています。歴史的な交流の跡を感じることができる場所として観光客に人気があります。
若宮神社は、地域の守護神として信仰を集めている神社です。自然に囲まれた静かな場所で、参拝者は日々の疲れを癒すことができます。
灯籠堂跡は、江戸時代に島に入港する船のために設置された灯台の跡地です。現在は灯台は残っていませんが、その歴史的な意義を感じさせる場所です。
神宮寺は、相島で唯一の寺院です。この寺院は、地域の信仰の中心として長い歴史を持ち、多くの人々に親しまれています。
朝鮮通信使客館跡は、かつて朝鮮通信使が接待されるために利用された客館の跡地です。通信使が来島するたびに新しく建てられ、帰国後に解体されていたため、現存する建物はありませんが、その跡地には歴史的な意味が込められています。
金毘羅神社は、海上安全を祈願する神社で、特に漁師や船乗りにとって信仰の対象となっています。
遠見番所跡は、鎖国時代に島の監視を行っていた番所の跡地です。物見櫓が建てられていた石垣は現在も残っており、歴史的な雰囲気を今に伝えています。
太閤潮井の石は、歴史的な意味を持つ場所で、多くの観光客がこの地を訪れます。ここでは、昔の人々の生活や祈りを感じることができます。
岩宮神社は、島の歴史と信仰が交差する場所で、地域の人々に大切にされています。訪れる人々は、神聖な空気に包まれながら、島の歴史に触れることができます。
穴観音は、海上の安全や無病息災を祈るために信仰されていた場所です。しかし、2015年現在、落石の恐れがあるため立ち入りが禁止されています。
龍王石は、島の西側海岸に位置する自然石で、地元の漁師たちから信仰の対象とされています。自然の力を感じることができる場所で、訪れる人々にとって神秘的な存在です。
相島は、面積約1.25km²、島の周囲は約8kmで、全体的に標高が50~70mほどの台地状の地形をしています。海岸の一部には、海食崖が見られ、特に東端には「めがね岩」(鼻栗瀬)という海食によって形成された穴の開いた岩があります。これは新宮町のシンボルとして、九州自動車道の境界標識にも描かれています。
島は東西に細長く、南に面して入り江が形成されており、港や住宅地はこの海岸沿いに集中しています。このため、夏季の台風や冬季の北西寄りの季節風が強くても、玄界灘が荒れていない限り、船の出入りが比較的容易です。そのため、相島は古くから急な荒天時の船の避難場所として利用されてきました。
相島は、中国大陸と九州を結ぶ航路の要衝として古くから知られており、『万葉集』や『日本書紀』にも「阿恵島」や「吾瓮(ミアヘ)」としてその名が記されています。中世には、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、この島で航海の安全と勝利を祈願し、海岸の石を積み上げた「太閤潮井の石」が現存しています。また、近世には朝鮮通信使が必ず寄港する場所であり、黒田藩により客館や遠見番所が設けられていました。
現代の相島は漁業が盛んであり、特に海釣りのスポットとして多くの釣り客が訪れています。また、「猫の島」という愛称でも知られており、島内には多くの野良猫が生息しています。英字新聞のジャパンタイムズは相島を「野良猫の天国の島」として紹介し、アメリカのCNNニュースも「猫が"支配"している場所」の一つとして取り上げました。
相島へは、新宮町営渡船「しんぐう」が運航されており、本土の新宮漁港から相島漁港までの所要時間は約17分です。夏季(4月1日から9月30日)は1日6便、冬季(10月1日から3月31日)は1日5便が運航されています。新宮漁港へは、西鉄新宮駅やJR福工大前駅から新宮町コミュニティバスが渡船の時間に合わせて運行しています。
車を利用する場合、九州自動車道古賀インターチェンジから新宮漁港まで約6.3kmの距離にあります。ただし、相島への自動車航送はできないため、新宮漁港の有料駐車場に車を停めてから渡船を利用する必要があります。
相島内には、県道599号線が島を一周する形で整備されていますが、島内にはバス路線やタクシーが存在しないため、徒歩での移動が基本です。