海の中道は、福岡県福岡市東区に位置する、志賀島と九州本土を繋ぐ陸繋砂州です。全長約8キロメートル、最大幅約2.5キロメートルに及ぶこの砂州は、北に玄界灘、南に博多湾を望む絶景が広がっています。地元では「うみなか」とも呼ばれ、福岡市内のリゾート地域として数々の施設が点在し、観光地としても人気を誇っています。
海の中道は、ほぼ全体が砂丘で構成されているものの、東部の奈多地区に位置する玄界灘側の奈多海岸には、更新世に堆積した古い砂丘がテラス状の崖として残っています。また、西部には古第三紀層に属する大岳・小岳といった丘陵部もあります。奈多海岸の砂丘にはクロマツの松林が広がり、「奈多松原」として知られています。この松原には「志式神社」(三郎天神)が祀られ、地域の人々に親しまれています。
砂州の幅は場所によって異なり、西の西戸崎から東の雁の巣にかけて博多湾側に向かって砂嘴が伸びています。特に志賀島との間の約1キロメートルの区間は砂州の幅が非常に狭く、玄界灘と博多湾の対照的な海が迫る美しい光景が広がります。この狭い区間は「道切(みちきれ、満切)」と呼ばれ、満潮時には一部が海水で区切られるため、橋がかけられています。
海の中道の中央部から西北部にかけては、公園やレクリエーション施設が広がっています。東端には福岡市雁の巣レクリエーションセンターが、西側には海の中道海浜公園やマリンワールド(水族館)、西戸崎シーサイドカントリークラブ(ゴルフ場)、クレイン福岡(乗馬クラブ)などが点在しています。また、東部の奈多・雁の巣地区や西南部の西戸崎・大岳地区には住宅地が広がり、約1万5千人の人々が生活を営んでいます。
さらに、雁の巣レクリエーション施設の近くには、国土交通省福岡航空交通管制部が設置されており、福岡空港や近隣の航空交通を管理しています。
海の中道に関する最古の記録は、奈良時代に編纂された『筑前国風土記』逸文に見られます。この文献では、志賀島の記事に関連して「打昇の浜(うちあげのはま)」や「吹上の浜(ふきあげのはま)」という名称で記されています。特に玄界灘側の海岸は、冬季に多くの漂着物が打ち上げられる場所として知られており、古代から周辺の漁労民によって製塩が行われていたことがうかがわれます。
18世紀初めに貝原益軒によって編纂された『筑前国続風土記』では、すでに「海の中道」という地名が奈多の村民によって使用されていたことが記されています。江戸時代には西が那珂郡、東が裏糟屋郡に属し、1889年(明治22年)の町村制施行により、西部は志賀島村、東部は和白村となりました。明治時代には、現在のJR香椎線が博多湾鉄道として敷設され、糟屋炭田の積出し港として賑わいました。
戦時中には、現在の雁の巣レクリエーションセンター一帯に九州初の国際空港である雁ノ巣飛行場(福岡第一飛行場)が建設されました。この飛行場は、戦後にアメリカ軍に接収され、キャンプ・ハカタ (Camp Hakata) となり、朝鮮戦争では米軍の補給基地として重要な役割を果たしました。
1972年にアメリカから返還された後、海の中道は福岡のリゾート地域として開発が進み、現在では多くの観光施設が立ち並ぶ人気スポットとなっています。
砂州の中心をJR香椎線(海の中道線)と福岡県道59号志賀島和白線が並行して通っています。香椎線には奈多駅、雁ノ巣駅、海ノ中道駅、西戸崎駅の4駅が設けられており、交通の便が良いです。県道59号は海の中道の最西部から志賀島橋で志賀島と結ばれています。また、2002年10月には、雁の巣地区と南に位置するアイランドシティとが海の中道大橋で結ばれ、福岡市中心部とのアクセスが大幅に改善されました。
海上交通では、市営渡船が博多区のベイサイドプレイス博多埠頭と西戸崎・志賀島を結んでおり、安田産業汽船がベイサイドプレイス博多埠頭とシーサイドももち(早良区)から海の中道渡船所までの航路「うみなかライン」を運航しています。これにより、海の中道は福岡市内外からのアクセスが非常に便利です。
海の中道は、福岡市東区に位置する美しい自然と歴史を持つ場所です。その豊かな自然環境と多彩なレクリエーション施設に加え、古代から続く歴史的背景が、この場所を特別な存在にしています。アクセスも便利で、福岡市内外から多くの人々が訪れる観光スポットとして、これからも発展し続けることでしょう。