筑紫神社は、福岡県筑紫野市原田に鎮座する由緒ある神社です。平安時代の『延喜式神名帳』には「筑紫神社 名神大」と記されており、名神大社としての格式を有しています。また、旧社格では県社に列し、地元の人々から厚い信仰を集めています。境内は歴史と自然が調和した落ち着いた雰囲気で、年間を通じて多くの参拝者が訪れます。
現在、筑紫神社には以下の3柱の神々が祀られています。
筑紫神社の祭神や「筑紫」という地名の由来については、いくつかの説が伝わっています。『釈日本紀』所引の『筑後国風土記』逸文では、筑後国と筑前国が元々は一つの国「筑紫国」であったとされています。その名称の由来については、以下のような説が記されています。
特に「命尽くしの神」説については、古代から筑紫君や肥君がこの神を祀ったとされ、筑紫神社の成立に関わる重要な伝説とされています。当地が筑紫君の勢力圏内であったことや、筑紫君と肥君が祭祀を行ったという伝承もあり、これらが神社の歴史的背景を形作っています。
筑紫神社の創建時期については明確ではありませんが、もともとは城山山頂に祀られていたと伝えられています。後に現在の地に移されたという説もありますが、創建当初から現在の場所に鎮座していたとも考えられています。「筑紫」という名称は、古代には九州全体を指して使われることもありましたが、狭義では筑紫神社周辺の地域を指していたとされています。
考古学的には、弥生時代中期において筑紫神社周辺は甕棺墓の分布の中心地であり、後期には青銅器生産の中心地として栄えました。また、この地域では銅鐸祭祀も行われていたとされ、渡来系の文化や知識が大きな影響を与えたことが分かります。これにより、筑紫神社の伝承と渡来者集団による祭祀との関連性も指摘されています。
筑紫神社の歴史的な記録として、最も古いものは貞観元年(859年)の『日本三代実録』において従四位下の神階を授かったという記事です。その後、元慶3年(879年)には従四位上に昇進しました。また、延長5年(927年)に成立した『延喜式』神名帳では、「名神大社」として記され、重要な神社としての地位が確立されました。
鎌倉時代には、当地の地頭職を務めていた筑紫氏が社司を兼務し、筑紫神社は地域の中心的な存在としての役割を担いました。しかし、戦国時代の島津勢による兵火で社殿や古文書が焼失し、一時は荒廃しました。その後、江戸時代に復興が進められ、現在の社殿の再建が行われました。
筑紫神社で毎年3月15日に行われる「粥卜祭(かゆうらさい)」は、古くから伝わる伝統的な祭事で、筑紫野市の無形民俗文化財に指定されています。祭事では、神社の井戸から汲んだ水を使って炊かれたお粥に生えたカビの様子から、その年の豊作や病気の流行を占います。判定は神社に伝わる古文書に基づいて行われ、その結果は神社の掲示板に貼り出されます。
筑紫神社では、年間を通じてさまざまな祭事が行われています。代表的なものとして、以下の祭事があります。
筑紫神社の境内には、歴史を感じさせる建造物や自然が調和した美しい風景が広がっています。以下は、境内の主な見どころです。
境内には摂末社として五所神社があり、須佐之男命や菅原道真公などの神々が祀られています。この神社は、大正4年に近隣の無格社5社を合祀し、昭和4年には境内社としての地位を確立しました。
筑紫神社は、福岡県筑紫野市原田に位置し、公共交通機関や車でのアクセスが便利です。最寄り駅はJR原田駅で、駅から徒歩約10分の距離にあります。車で訪れる場合は、九州自動車道の筑紫野ICから約15分です。神社周辺には駐車場も完備されており、参拝者に便利な環境が整っています。