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二日市温泉

(ふつかいち おんせん)

二日市温泉は、福岡県筑紫野市湯町にある歴史ある温泉地で、「博多の奥座敷」とも称されるほど、地域の人々に親しまれています。温泉街には旅館やホテル、共同浴場(博多湯、御前湯)、日帰り温泉施設があり、訪れる人々を温かく迎え入れています。

泉質と歴史

泉質の特徴

二日市温泉の泉質は放射能泉で、具体的にはアルカリ単純ラジウム泉です。この泉質は、疲労回復やリラクゼーション効果があるとされ、多くの湯治客や観光客に利用されています。

温泉の歴史

二日市温泉は古くから温泉が湧き出る地として知られていました。武蔵寺の縁起に伝わる開湯伝説によれば、藤原鎌足の子孫である藤原虎麿(登羅麻呂)が武蔵寺の薬師如来に娘の病気治癒を祈願した際、夢のお告げで温泉を発見したとされています。また、奈良時代の大宰帥・大伴旅人が詠んだ歌には「次田温泉」や「湯の原」として二日市温泉が登場します。

名称の変遷と江戸時代の発展

二日市温泉は、古くは「次田(すいた)の湯」や「薬師温泉」、近世以降は「武蔵温泉」と呼ばれていました。江戸時代には筑前藩が温泉奉行を置き、藩主黒田氏専用の「御前湯」が設けられました。明治時代になると、この「御前湯」は一般の共同浴場となり、より多くの人々に利用されるようになりました。

近代の発展と昭和天皇の訪問

明治22年(1889年)に九州鉄道(現鹿児島本線)の二日市駅が開業すると、博多に近いこの地には湯治客や観光客が多く訪れるようになりました。1896年には、作家の夏目漱石が新婚旅行で訪れたことでも知られています。昭和初期には、温泉街には20軒以上の旅館が立ち並び、歓楽街としても栄えました。1949年(昭和24年)には昭和天皇が九州巡幸で訪れ、大丸別荘に2泊したことが、温泉地としての知名度をさらに高めました。この訪問を機に、1950年に「二日市温泉」と名称が改められました。

地理と温泉街の構造

地理的特徴

二日市温泉は、大宰府政庁の南方に位置し、温泉街はJR二日市駅の南西に広がっています。県道7号沿いに温泉街があり、長い歴史を持つ温泉街の中心には、かつて鷲田川が流れていました。川の両側には宿屋が並び、共同の川湯も存在していましたが、1932年(昭和7年)の大水害で川湯が決壊し、その後の復旧工事で鷲田川は暗渠化され、県道7号の一部となっています。

温泉街のアクセスと新しい施設

1889年の二日市駅の開業以来、駅の出入口は温泉の反対側である東口のみでしたが、2022年12月に西口が新たに開設されました。これにより、温泉街へのアクセスがより便利になり、多くの観光客が訪れるようになりました。

二日市温泉に関連する文学作品

大伴旅人の詠んだ歌

奈良時代の大宰帥・大伴旅人が二日市温泉を訪れた際、亡き妻を偲んで詠んだ歌が『万葉集』に収められています。この歌では、次田温泉の風景と彼の深い悲しみが詠まれています。

夏目漱石の句

夏目漱石もまた、この地を訪れた際に二日市温泉を詠んだ句を残しています。その句には、温泉街の賑わいと活気が詠まれており、当時の二日市温泉の雰囲気を感じることができます。

アクセス情報

鉄道でのアクセス

二日市温泉へは、JR鹿児島本線の二日市駅から徒歩約10分でアクセス可能です。また、西鉄バスの湯町循環を利用すれば、二日市駅から8分ほどで到着します。西鉄天神大牟田線の紫駅からは徒歩で約20分、西鉄二日市駅からはバスで10〜14分ほどです。

まとめ

二日市温泉は、歴史と文化が息づく福岡県の温泉地で、多くの人々に愛され続けています。古くからの温泉文化を守り続け、今もなお湯治客や観光客を魅了しています。博多の奥座敷として、温泉街の美しい景観と豊かな温泉が訪れる人々を癒やしてくれることでしょう。

Information

名称
二日市温泉
(ふつかいち おんせん)

博多・天神・太宰府

福岡県