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戒壇院

(かいだんいん)

戒壇院は、福岡県太宰府市に位置する臨済宗の寺院です。奈良時代に設置され、出家者が正式な僧尼となるための戒律を授ける施設として重要な役割を果たしていました。そのため「筑紫戒壇院(ちくしかいだんいん)」とも称され、西戒壇(さいかいだん)として、中央戒壇(奈良の東大寺)・東戒壇(栃木の下野薬師寺)とともに「天下三戒壇」の一つとされています。

戒壇院はもともと観世音寺の一部として設立されましたが、長い歴史を経て現在は独立した寺院となっています。

戒壇院の歴史

創建と発展

戒壇院の歴史は、奈良時代の天平勝宝5年(753年)に唐僧鑑真が薩摩坊津に来日し、太宰府を訪れたことに始まります。鑑真はこの地で日本初の授戒を行い、戒壇院を開山しました。奈良時代以来、戒壇院は現在も同じ場所に存在し、当時から宗派を超えて僧が集い学ぶ場として「八宗兼学寺」とも呼ばれていました。

戒壇院は、鑑真によって設立され、西海道唯一の戒壇として栄えましたが、中世に入ると衰退が進みました。寛文9年(1669年)、崇福寺の智玄和尚によって本尊が修理され、黒田光之の家臣である鎌田昌勝による諸堂宇の再興が行われました。元禄16年(1703年)には観世音寺から独立し、現在は福岡市博多区にある臨済宗妙心寺派の聖福寺の末寺として存続しています。

戒壇院の再建

現在の戒壇院の本堂は、延宝8年(1680年)に黒田光之の命によって再建されたものです。この再建は、豪商である天王寺の了夢によって行われました。現在の戒壇院の伽藍は、江戸時代に再建されたものであり、当時の建物が現在まで保存されています。

戒壇院の境内

本堂と鐘楼

戒壇院の本堂には、本尊である盧舎那仏坐像が安置されています。この仏像は平安時代末期の作で、国の重要文化財に指定されています。また、両脇には江戸時代に作られた脇侍像が配置されています。本堂内の戒壇には、インド、中国、奈良の三国から持ち込まれた土が納められていると伝えられています。

鐘楼には、元禄14年(1701年)に鋳造された梵鐘が吊るされています。この梵鐘は、博多の鋳物師礒野七平によって作られ、江戸時代の酒造家である楠屋白木玄流の寄進によるものです。鐘楼の前には、白木玄流氏の寄贈を記念する木札が立てられています。

その他の見どころ

戒壇院の門前には、「不許葷酒肉入境」と刻まれた石碑が立っています。境内の西方には、石造五重塔とともに鑑真の供養塔として建てられた五輪塔があります。また、鑑真ゆかりのものとして、境内の北東部には、鑑真が唐から請来したと伝えられる菩提樹が鬱蒼と茂っています。さらに、木造鑑真和上坐像も展示されており、鑑真との深い縁が感じられる場所です。

戒壇院の文化財

重要文化財

戒壇院には、国の重要文化財に指定された木造盧舎那仏坐像が安置されています。この仏像は、明治37年8月29日に指定され、平安時代末期の貴重な仏像としてその歴史的価値が認められています。

福岡県指定有形文化財

戒壇院の本堂、鐘楼、梵鐘は福岡県指定の有形文化財に指定されています。本堂は平成8年5月31日に、鐘楼は平成12年11月1日に指定されました。また、梵鐘(半鐘)も平成9年7月25日に指定されています。

太宰府市指定文化財

戒壇院には、太宰府市指定の文化財も数多く存在します。木造文殊菩薩・弥勒菩薩立像や木造鑑真和上坐像、さらに戒壇院の菩提樹などが指定されています。特に戒壇院の菩提樹は、平成25年9月25日に太宰府市の天然記念物に指定されており、その歴史的価値が認められています。

現地情報と交通アクセス

所在地と周辺施設

戒壇院は福岡県太宰府市観世音寺5-6-1に位置し、観世音寺の西南隅にあります。境内は奈良時代からその配置が変わっておらず、歴史的な趣を感じることができます。

交通アクセス

戒壇院へのアクセスは、西鉄太宰府線の西鉄五条駅から徒歩約10分(800m)、または太宰府駅から徒歩約16分(1300m)です。西鉄天神大牟田線の都府楼前駅からは徒歩約15分(1500m)でアクセスできます。また、都府楼前駅、太宰府駅、西鉄五条駅からまほろば号北谷回りに乗車し、「観世音寺前」バス停で下車すると、すぐに戒壇院へ到着します。博多駅からは西鉄バス(400系統)を利用し、「筑陽学園前」バス停で下車、徒歩8分(700m)です。自家用車の場合は、九州自動車道太宰府インターチェンジから約3.8㎞の距離にあります。

周辺の名所

戒壇院の周辺には、観世音寺、大宰府政庁跡、学校院跡などの歴史的な名所が点在しています。これらの施設を巡ることで、太宰府の豊かな歴史と文化をより深く理解することができます。

Information

名称
戒壇院
(かいだんいん)

博多・天神・太宰府

福岡県