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春日神社(春日市)

(かすが じんじゃ)

春日神社は、福岡県春日市に位置し、この市の名称の由来ともなった歴史ある神社です。四柱の神々を主祭神とし、末社には若宮社や薬師堂があり、地元の人々に親しまれています。また、境内には由緒ある古木や歴史的な遺構が点在し、訪れる人々に静かな佇まいと神聖な雰囲気を提供しています。

境内の見どころ

鳥居と社殿

春日神社の入口には、黒田一利が宝永七年(1710年)に奉納した鳥居が立っています。奥の社殿には天児屋根命、武甕槌命、経津主命、姫大神を祀り、その裏手には承天寺の末寺であった大光寺の跡が残されており、十三仏が安置されています。また、平成八年(1996年)には新たに奥部の鳥居が奉納され、境内全体が整備されています。

春日の杜と天然記念物

境内に生育する11本の樟(くすのき)は、まとめて『春日の杜』と呼ばれ、昭和38年(1963年)1月16日に県の天然記念物に指定されました。この樟の巨木たちは、春日神社の歴史と共に生きており、その威容は参拝者に深い感動を与えています。

若宮社と薬師堂

春日神社の境内には、末社として若宮社があり、太力雄命および太玉命を祀っています。また、薬師堂もあり、訪れる人々に心の安らぎを提供しています。これらの社や堂は、春日神社の神聖な雰囲気をさらに引き立てています。

春日神社の歴史

創建と起源

春日神社の起源は古く、中大兄皇子がこの地に天児屋根命を祀ったことから始まると伝えられています。現在の社殿の創建は、藤原田麻呂が神護景雲二年(768年)に大宰府に赴任した際、故郷である大和国春日の春日大社から三柱の神々を迎え祀ったことに遡ります。これにより、春日大明神としての社殿が築かれ、春日神社が成立しました。

焼失と再建の歴史

春日神社は戦国時代末期の天正十四年(1586年)、島津勢の兵火により社殿や宝蔵、古文書などが焼失し、一時は荒廃しました。しかし、寛永四年(1627年)に黒田長政の家老であった黒田一成の手によって再建され、その後、元禄九年(1698年)と平成八年(1996年)の改築を経て、現在の姿に至っています。

春日神社の行事と文化

春日の婿押し

春日神社では、毎年一月十四日の夜に「春日の婿押し」という数百年の歴史を持つ年中行事が行われます。この行事は、前年に結婚した新郎新婦を披露し、祝い歌を歌いながら新郎を押し、最後に若水を掛けて祝福するという、全国的にも珍しい民俗行事です。五穀豊穣と開運を願う「樽せり」や「お汐井取り」なども行われ、国指定の重要無形民俗文化財に指定されています。

例祭とその他の行事

春日神社では、四月の第三日曜日に「春籠の祭」、七月の第三日曜日に「夏籠の祭」、十月の第三日曜日に「秋季例大祭(宮座)」が行われます。これらの祭りは、地域の人々にとって重要な行事であり、多くの参拝者が訪れます。

末社について

三郎天神

春日神社の末社の一つである三郎天神は、埴安命を祀っており、境内ではなく離れた場所に位置しています。この小社は、古くから地域の信仰の対象となっており、『春日大明神記録』や『筑前国続風土記』にもその名が記録されています。

九郎天神と地禄天神

九郎天神は、黒男大明神(供老大明神)を祀る小社で、参道と牛頸川が交差する地点に位置しています。また、地禄天神は、三末社の中で最も離れた場所にあり、埴安命を祀っています。いずれの社も、古くから地域に根付いた信仰の場として大切にされています。

周辺の史跡とアクセス

周辺の史跡

春日神社の近くには、『上の地蔵』や『下の地蔵』などの史跡が点在しており、歴史散策にも適したエリアです。また、社領の東脇を南北に通る道は『春の社通り』と呼ばれ、その東側には浄土真宗本願寺派の寺院である月光山長円寺があります。

交通アクセス

春日神社は、JR九州鹿児島本線の大野城駅から徒歩約18分(1500m)の場所に位置しています。また、JR九州鹿児島本線の春日駅もしくは大野城駅から「やよい春日原線」に乗車し、「春日神社前」バス停で下車するか、西鉄天神大牟田線の春日原駅から西鉄バス6系統(春日経由月の浦営業所行き)に乗車し「春日」バス停で下車することも可能です。マイカーで訪れる場合、九州自動車道太宰府インターチェンジから約2.8㎞の距離にあります。

Information

名称
春日神社(春日市)
(かすが じんじゃ)

博多・天神・太宰府

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