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光明禅寺

(こうみょうぜんじ)

光明寺(こうみょうじ)は、福岡県太宰府市にある臨済宗東福寺派に属する禅宗寺院です。山号は「神護山」(じんごさん)といい、光明禅寺の名でも親しまれています。光明寺は長い歴史を持つ名刹で、庭園の美しさや苔むした風景が多くの人々を魅了しています。しかし、2018年より境内の改修工事に伴い、現在は拝観を停止しています。

歴史

光明寺の歴史は、1273年(文永10年)にさかのぼります。この年、円爾(聖一国師)の門弟であった鉄牛円心によって開山されました。その後、江戸時代に太宰府天満宮の緇素(しそ・天満宮に仕える人々とその家族)の菩提寺として、1616年(元和2年)に再興されました。そして、1856年(安政3年)7月には再び再営され、天満宮の結縁寺としてその役割を果たしました。

円爾と鉄牛円心

光明寺の開山に深く関わる人物、円爾(聖一国師)は、臨済宗の高僧として知られ、禅宗の教えを広めるために多くの弟子を育てました。その門弟であった鉄牛円心が光明寺を建立し、禅の精神をこの地に根付かせました。

境内と庭園

光明寺の境内に足を踏み入れると、まず目に入るのが山門と鐘楼です。太宰府天満宮の参道の一の鳥居を右に曲がると、その姿が見えてきます。光明禅寺は「苔寺」とも呼ばれることがあり、その名の通り、境内の庭園は青々とした苔で覆われています。

仏光石庭と一滴海庭

前庭には「仏光石庭」と呼ばれる庭園があり、七・五・三の十五石で「光」の字を模した石組みが特徴です。一方、裏庭は枯山水の様式で「一滴海庭」と呼ばれています。青苔が大陸や島を象徴し、白砂は水や大海を表しています。長汀曲浦(ちょうていきょくほ)の見事な線が、庭園の静寂と調和を象徴しています。

四季折々の風情

光明寺の庭園は、秋になると紅葉が色づき、訪れる人々に格別な美しさを提供します。新緑の季節もまた、庭園の石組みと苔が見事に調和し、静かな中にも力強さを感じさせる風景が広がります。

重森三玲の作庭

光明寺の庭園は、昭和32年(1957年)に昭和を代表する作庭家、重森三玲(しげもり みれい)によって作庭されました。本堂を挟んで表庭と本庭に分かれており、白砂の州浜模様や立石を中心とした石組み、そして多数のカエデが巧みに配置されています。特に、秋の紅葉や新緑に映える石組みは、訪れる人々の心を打ちます。

一滴庵と名勝地

本庭には茶室「一滴庵(いってきあん)」が保存されており、重森三玲が設計した庭園と建築が一体となった名勝地として高く評価されています。九州における重森三玲の作庭事例は非常に少なく、また、これほど多くの落葉樹の下に石組みを配した庭園は他に類を見ない、非常に貴重なものとなっています。

山本忠亮の墓所

光明寺には、土佐勤皇党に属していた山本忠亮の墓所があるとされています。しかし、実際に彼の墓所があるのは光蓮寺であり、光明寺に墓があるわけではありません。この点は誤解されやすい部分であるため、注意が必要です。

アクセス

光明寺へのアクセスは非常に便利です。最寄りの西鉄太宰府線「太宰府駅」から徒歩で約6分(約450メートル)の距離に位置しています。太宰府天満宮の観光と合わせて訪れることができるため、多くの参拝客や観光客が足を運んでいます。

まとめ

光明寺はその歴史と美しい庭園で知られ、特に重森三玲による庭園は全国的にも高い評価を受けています。秋の紅葉や新緑の季節には、その風情を楽しむことができるスポットとして、多くの人々に愛されています。現在は拝観が停止されていますが、再びその門が開かれる日を楽しみに待ちたいものです。

Information

名称
光明禅寺
(こうみょうぜんじ)

博多・天神・太宰府

福岡県