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櫛田神社

(くしだ じんじゃ)

櫛田神社は、福岡県福岡市博多区上川端町に位置する、博多の氏神・総鎮守として古くから信仰を集める神社です。地元の人々からは「お櫛田さん」として親しまれ、博多の旧市街に位置するこの神社は、地域の文化と歴史を象徴する重要な存在です。正式名称は「博多総鎮守 櫛田神社(はかた そうちんじゅ くしだじんじゃ)」です。

神社の概要

櫛田神社は、博多祇園山笠や博多おくんちなど、地域の主要な祭事を行う神社として知られています。特に、7月に行われる博多祇園山笠は全国的にも有名で、博多の夏を代表する祭りです。また、5月の博多松囃子(博多どんたく)の一行も、櫛田神社を起点に巡行するという伝統があります。

祭神

櫛田神社の祭神は、大幡主大神(櫛田大神)、天照皇大神、そして素盞嗚大神(祇園大神)の三神です。正殿には大幡主大神が、左殿には天照皇大神が、右殿には素盞嗚大神がそれぞれ祀られています。他の櫛田神社では、櫛名田姫を主祭神とする場合が多いですが、当社では祀られていません。ただし、かつては櫛名田姫を祀っていたという説もあります。

神社の歴史

櫛田神社の起源は天平宝字元年(757年)にまで遡り、松阪の櫛田神社から勧請されたと伝えられています。大幡主大神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照皇大神も共に祀られることになりました。また、天慶4年(941年)には、小野好古が藤原純友の乱を鎮めた後、京都の八坂神社から素盞嗚神を勧請したとされています。しかし、平清盛が博多を日宋貿易の拠点とするために、佐賀県神埼市の櫛田宮を博多に勧請したという説が最も有力です。

戦国時代に荒廃したものの、1587年(天正15年)に豊臣秀吉による博多復興の際に現在の社殿が造営されました。江戸時代には東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していましたが、1868年(明治元年)の神仏分離令により独立した神社となりました。1891年(明治24年)には県社に列せられ、その地位を確立しました。

その他の特徴

櫛田神社は福岡市博多区祇園町の名称の由来ともなっており、祇園大神を祀ることから名付けられたとされています。神社の境内には、博多祇園山笠の飾り山が常設され、1960年からは九州朝日放送(KBC)によって『走れ!山笠』が奉納されています。また、境内には樹齢約1000年の「櫛田の銀杏(ぎなん)」と呼ばれる銀杏の木があり、福岡県の天然記念物に指定されています。この銀杏は「博多祝い唄」にも謡われ、地域のシンボルとして愛されています。

さらに、櫛田神社の境内には、松浦党の波多三河守親にゆかりのある「切木のボタン」が植樹されています。このボタンは、山笠に牡丹が飾られる由来となったもので、2018年(平成30年)に唐津市肥前町から株分けされたものです。

境内の飾り山

博多祇園山笠の飾り山は、櫛田神社の境内に常設されており、その壮麗な姿が訪れる人々を魅了します。

櫛田の銀杏

樹齢約1000年を誇る「櫛田の銀杏」は、境内にそびえる巨大な銀杏の木で、福岡県の天然記念物にも指定されています。

楼門天井にある干支恵方盤

櫛田神社の楼門天井には、干支の恵方を示す「干支恵方盤」が描かれており、その精巧な造りが特徴的です。

節分前後に設置される巨大お多福面

節分の時期には、境内に巨大なお多福面が設置され、訪れる人々を迎え入れます。

境内の絵馬

櫛田神社の境内には、参拝者が願い事を記すための絵馬が並び、その数々の願いが社を彩ります。

境内の手水舎(ちょうずや)

参拝前に身を清めるための手水舎は、櫛田神社の入り口に設けられており、厳かな雰囲気を漂わせています。

交通アクセス

櫛田神社は福岡市内の主要な交通機関から徒歩圏内に位置しており、アクセスも非常に便利です。福岡市地下鉄七隈線の櫛田神社前駅からは徒歩1分、福岡市地下鉄空港線の祇園駅からは徒歩5分で到着します。また、福岡市地下鉄空港線および箱崎線の中洲川端駅からも徒歩約8分と、複数のアクセスルートが用意されています。バスを利用する場合も、「キャナルシティ博多前」や「キャナルイーストビル前」バス停からアクセス可能です。

まとめ

櫛田神社は、福岡市博多区に位置する歴史的かつ文化的な神社であり、地域の人々に深く愛され続けています。博多祇園山笠や博多おくんちなど、数々の祭事が行われる場所であり、その歴史と伝統は今なお受け継がれています。福岡を訪れる際には、ぜひ立ち寄りたい名所の一つです。

Information

名称
櫛田神社
(くしだ じんじゃ)

博多・天神・太宰府

福岡県