中洲は、福岡県福岡市博多区に位置する、那珂川と博多川に挟まれたエリアに広がる歓楽街です。現行の行政地名は中洲一丁目から五丁目まであり、その面積は約20.27ヘクタールです。中洲は福岡市を代表する歓楽街として知られ、その名は全国的にも広く知られています。
中洲は、那珂川の流れに沿って北西から南東にかけて約1キロメートルの細長い形状をしています。横幅は約200メートルと比較的狭いエリアです。最寄り駅は福岡市交通局(地下鉄空港線・箱崎線)の中洲川端駅で、天神や博多駅からも徒歩圏内という好立地にあります。さらに、昭和通り、明治通り、国道202号線(国体道路)が貫通しており、中洲中央通りが歓楽街のメインストリートとなっています。
中洲は、福岡市都市計画マスタープランにおいて「都心部」の一部とされており、特に商業とアミューズメントのゾーンとして位置付けられています。このエリアは、博多の商業機能の集積を活かした賑わいのある都市拠点とされており、魅力的な歩行空間の確保や周辺地域との連携強化が目指されています。また、那珂川や博多川沿いの河川緑地軸は、散策や憩いの場としても重要視されています。
中洲は九州最大の歓楽街であり、西日本一の規模を誇ります。また、東京の新宿・歌舞伎町、札幌のすすきのと並び、日本を代表する三大歓楽街の一つとされています。国体道路の南側には「南新地」と呼ばれるソープランド街が広がり、那珂川沿いにはラーメン店などの屋台が立ち並ぶ「屋台村」が形成されています。福博であい橋から望む那珂川沿いのネオンサインは、中洲の象徴的な風景の一つです。
中洲の名前は地形を表す「中州」から来ています。江戸時代にはすでに「中洲」と呼ばれていた記録があり、長い歴史を持つ地域です。明治時代には福岡病院(現・九州大学病院の前身)や福岡電話局などが設置され、次第に都市化が進みました。また、1907年には与謝野鉄幹や北原白秋ら文学人が宿泊した川丈旅館があり、この時の紀行文が『五足の靴』として出版されています。
戦後、中洲は福岡大空襲で壊滅的な被害を受けましたが、映画館や劇場が次々と復興し、歓楽街として再び繁栄を取り戻しました。現在では、飲食店や風俗営業のクラブやキャバクラ、セクシーパブ、バーなどが密集する一大エリアとなっています。
中洲には、飲食店や娯楽施設が多く集まっており、特に商業施設としては「gate's(ゲイツ)」が代表的です。また、近隣にはキャナルシティ博多や博多リバレインといった大型商業施設もあり、多くの観光客や地元の人々で賑わっています。中洲のナイトライフを楽しむためのホテルやカプセルホテル、インターネットカフェなどの宿泊施設も充実しています。
中洲では、年間を通じてさまざまなイベントが開催されます。特に有名なのが、5月3日と4日に開催される「博多どんたく」や、7月1日から15日まで行われる「博多祇園山笠」です。中洲流として参加する博多祇園山笠では、飾り山笠が設置され、7月13日には明治通りを通る集団山見せが行われます。また、8月には飢人地蔵供養祭、9月には「中洲ジャズ」、10月には「中洲まつり」といったイベントが開催され、多くの人々が訪れます。
中洲へのアクセスは非常に便利です。福岡市地下鉄空港線の中洲川端駅が最寄り駅であり、天神や博多駅からも徒歩圏内です。また、西鉄バスが運行するバスも複数の停留所があり、市内の移動にも困りません。さらに、昭和通りや明治通り、国体道路といった幹線道路が通っており、車でのアクセスも良好です。
中洲には、博多町家寄進高灯籠や「五足の靴」文学碑、川端飢人地蔵尊、中洲國廣稲荷神社といった名所や旧跡が点在しています。これらのスポットは、中洲の歴史や文化を感じることができる貴重な場所です。
中洲は、福岡市の中心部に位置する歓楽街であり、その歴史と繁栄の中で日本を代表する三大歓楽街の一つとして知られるようになりました。飲食店や娯楽施設が集まり、年間を通じて多くのイベントが開催されるこのエリアは、福岡市の観光名所としても高い評価を受けています。中洲を訪れることで、福岡のナイトライフや文化を存分に楽しむことができるでしょう。