篠栗四国八十八箇所は、福岡県糟屋郡篠栗町に位置する、弘法大師空海を拝する88か所の霊場の総称です。篠栗八十八箇所や単に篠栗霊場とも呼ばれ、四国八十八箇所を模した霊場として、日本三大新四国霊場の一つに数えられることもあります。
篠栗四国八十八箇所の歴史は、1835年(天保6年)、慈忍という尼僧が四国八十八箇所巡拝の帰りに篠栗村に立ち寄ったことから始まります。慈忍は、弘法大師がかつて訪れたと伝えられるこの地で、困窮している村人たちを救済するため、弘法大師の名において祈願を行い、村に安寧をもたらしました。その後、慈忍は村人たちに四国霊場を模した88か所の霊場の建立を提案し、村人たちの協力を得て、石仏の造営が進められました。しかし、慈忍が没したことで一時中断されましたが、1854年(嘉永7年)に藤井藤助翁を中心に再び動き出し、88か所の堂宇が完成しました。
明治時代になると、多くの参拝者が訪れるようになり、霊場は賑わいを見せました。しかし、江戸時代には藩による弾圧もあり、本尊の石仏が破壊されることもありました。明治32年(1899年)には、高野山から南蔵院が移転され、篠栗霊場の管理と発展に大きな役割を果たしました。
篠栗四国八十八箇所は、篠栗町域の山麓や谷の奥など、随所に霊場が点在しています。これらの霊場には、大規模な寺院から小さな観音堂まで、さまざまな規模と形態が見られます。各霊場には納経所が設けられ、参拝者は印を押してもらい、巡拝の記録を残すことができます。かつては50を超える旅館が存在していたものの、現在でも30以上の宿泊施設が残り、静かな巡礼道として親しまれています。
1970年代までは、菅笠をかぶり白衣を着たお遍路さんが多く見られ、「南無大師遍照金剛」と唱えながら札所を巡る姿が日常的でした。しかし、その後はミニバスなどを利用した巡礼が一般的となり、かつての風景は少しずつ変わりつつあります。賽銭箱には、おふだや米、硬貨が奉納され、特に仏像のそばには治癒を願う木片や人形が供えられていますが、近年ではお金が中心となっています。
篠栗四国八十八箇所の霊場は、その番号と巡拝の順序が一致しないことが特徴です。霊場には、それぞれ固有の印があり、参拝者はその印を収集することができます。以下に、いくつかの代表的な霊場を紹介します。
篠栗四国八十八箇所は、2020年に放送されたテレビ番組「ゴリパラ見聞録」で取り上げられ、全八十八箇所を巡る様子が放送されました。これにより、霊場の存在が広く知られるようになり、多くの人々の関心を集めました。
篠栗四国八十八箇所は、福岡県篠栗町の美しい自然に囲まれた霊場群であり、静かな巡礼道として多くの人々に親しまれています。歴史的な背景と、慈忍による霊場の創設、そして多様な霊場の在り方は、訪れる人々に深い感銘を与えます。かつての賑わいを知る霊場は、現代でもその魅力を失わず、多くの参拝者を迎え入れています。