志免鉱業所竪坑櫓は、福岡県糟屋郡志免町に位置する、かつての国鉄志免鉱業所(旧海軍炭鉱)の産業遺産です。この遺構は、近代建設技術の歴史において非常に価値が高いものとして評価され、2009年(平成21年)に国の重要文化財に指定されました。現在、周囲は運動公園として整備されており、歴史的建造物として多くの人々に親しまれています。
志免鉱業所竪坑櫓は、旧日本海軍や日本国有鉄道によって運営された「国営炭鉱」であった志免鉱業所の重要な施設です。この竪坑櫓は、海軍燃料廠採炭部(後の第四海軍燃料廠)の海軍技術少将であった猪俣昇によって設計されました。竪坑櫓は、採炭夫を昇降させ、石炭を搬出するための施設であり、捲揚機が櫓上部に設置された塔櫓捲(ワインディングタワー)形式のもので、下層炭の採掘用に造られました。
地上にある竪坑櫓は、1941年(昭和16年)に着工し、1943年(昭和18年)に完成しました。地下の竪坑部分は竪坑櫓の完成後に開鑿され、1945年(昭和20年)までに完成しました。竪坑の底部である壺下は通常半球形にコンクリートで塞がれますが、この竪坑の設計では土などの開削跡がそのままとされ、将来的に竪坑の延長が可能な構造になっていました。
竪坑櫓は、戦時中は海軍の炭鉱として運営されていましたが、敗戦後に大蔵省が一時的に所有した後、運輸省に移管され、運輸省門司鉄道局志免鉱業所となりました。国鉄移管後、竪坑から石炭が揚炭されましたが、最下層の採掘は行われず、鉄道の電化やディーゼル化が進む中で、1964年(昭和39年)に閉山しました。
竪坑櫓は、鉄筋コンクリート造で、建設当時の価格で200万円(2022年現在の価値で約6億6千万円)もの予算が投じられました。高さ47.65メートル、9階建てで、8階にはケーペプーリーという捲揚用の巨大な滑車が設置され、東側には運転席がありました。さらに、9階には天井走行クレーンが設置されており、部品の昇降が可能でした。
竪坑櫓の形式は、ワインディングタワー(塔櫓捲式)と呼ばれるもので、戦前に建設された同形式の立坑櫓としては、日本国内では唯一の現存例です。また、同様の形式で現存している施設としては、中国の撫順炭鉱やベルギーのトランブルール炭鉱が挙げられます。
志免鉱業所は、1889年(明治22年)に新原採炭所として始まり、海軍によって開発されました。1906年(明治39年)には志免地区での採炭が開始され、その後も坑口の新設が続きました。戦後、国鉄に移管されると志免鉱業所と改称され、国内唯一の国営炭鉱として稼働しましたが、1964年に閉山しました。
閉山後、竪坑櫓は長らく放置されていましたが、地元住民や学会の保存活動により、現在では国の重要文化財に指定されています。また、志免町は竪坑櫓を中心に保存・修繕活動を行い、周辺施設も含めた全体の整備が進められています。
志免鉱業所竪坑櫓は、福岡県糟屋郡志免町大字志免495番地3に位置しています。福岡空港から西鉄バスを利用し、「東公園台2丁目」バス停で下車し徒歩3分の距離にあります。また、JR香椎線の酒殿駅や須恵駅からも徒歩約20分でアクセス可能です。
志免鉱業所竪坑櫓は、日本の近代産業遺産として非常に貴重な存在です。戦時中の産業発展を支えたこの施設は、現在でもその壮大な姿を残し、多くの人々にその歴史を伝えています。訪問者は、竪坑櫓を通じて日本の産業史に触れることができるでしょう。