住吉神社は、福岡県福岡市博多区住吉に位置する歴史ある神社です。式内社(名神大社)であり、筑前国一宮として崇められています。旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社として位置付けられています。全国にある2,300以上の住吉神社の中でも、その始祖とされる説があり、大阪の住吉大社、下関の住吉神社とともに「三大住吉」の一つに数えられています。
住吉神社は航海の守護神である住吉三神を祀る神社です。住吉三神は底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の三柱で構成され、これらを総称して「住吉三神」と呼ばれています。この神々は、『古事記』や『日本書紀』にも登場し、海の神として国家的に崇敬されました。
住吉神社は、古典によれば神功皇后の三韓征討の際に深く関わりを持ったとされています。神功皇后が朝鮮出兵を行う際、住吉神が神託を下し、その導きにより遠征が成功したとされています。この伝承が、住吉神が国家的な航海守護神とされる所以です。
住吉神社の祭神は、住吉三神に加え、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と神功皇后(じんぐうこうごう)の5柱が祀られています。これらの神々は「住吉五所大神」と総称され、神社全体の守護神として崇拝されています。
住吉三神は、イザナギ(伊奘諾尊)が黄泉の国から帰還した際に行った禊によって誕生した神々であり、海や航海に関連する神として信仰されてきました。住吉神社の創建には諸説ありますが、最も早くから創建されたとする説では、神功皇后が住吉神の神主を命じたことがその始まりとされています。
住吉神社は、神社の縁起によれば、住吉神が誕生した地を現在の福岡市住吉に比定し、ここを聖地として祀ったことに始まるとされています。中世には筑前国の一宮として位置付けられ、国家的な航海守護神としての役割を果たしてきました。
住吉神社は戦国時代に荒廃しましたが、江戸時代に入り、福岡藩初代藩主黒田長政によって社殿が再建されました。以降、黒田家の庇護を受けて発展し、現在の本殿も当時のものが使用されています。この本殿は「住吉造」と呼ばれる古式建築様式で、国の重要文化財に指定されています。
明治維新後、住吉神社は県社に列し、大正14年(1925年)に官幣小社に昇格しました。戦後は神社本庁の別表神社となり、現在に至るまで地域の守護神としての役割を果たしています。また、平成16年(2004年)からは住吉神社遺跡の発掘調査が行われており、古代から中世にかけての歴史的遺物が発見されています。
住吉神社の本殿は、江戸時代前期に再建されたもので、住吉造という古い社殿形式を採用しています。屋根は檜皮葺で、朱色の柱と白色の板壁が特徴です。本殿前には入母屋造の拝殿があり、こちらも歴史的価値が高い建造物です。
境内には、昭和13年(1938年)に完成した能楽殿があり、日本の伝統様式と洋風の様式が融合した近代和風建築として福岡市指定文化財に指定されています。この能楽殿は、昭和初期の福岡市内で最も重要な文化施設の一つとして利用されてきました。
住吉神社の境内には、神楽殿や神門、さらには「一夜松」と呼ばれる神木や功徳池など、多くの見どころがあります。これらの施設は、神社の歴史と信仰を感じさせる重要な要素です。
住吉神社には、摂社として船玉神社と志賀神社があり、それぞれ航海安全や海の神々を祀っています。また、境内には少彦名神社や稲荷神社、恵比須神社など、計8社の末社があり、地域住民からの信仰を集めています。
住吉神社では、年間を通じて多くの祭事が行われています。特に注目されるのは、1月の「追儺祭(ついなさい)」、4月の「潮干祭(しおひさい)」、7月の「名越大祭(なごしたいさい)」、そして10月の「例大祭(相撲会大祭)」です。これらの祭事は、神社の伝統を守り、地域の人々に深く根付いています。
住吉神社には、多くの重要文化財が指定されています。本殿は国の重要文化財に指定されており、また、能楽殿は福岡市指定文化財です。その他、弥生時代の銅戈や銅鉾が福岡県指定文化財として認定されています。
住吉神社は、JR博多駅から徒歩10分という便利な場所に位置しています。西鉄バスを利用する場合は「住吉」バス停で下車し、徒歩2分です。また、車でのアクセスも容易で、福岡高速環状線博多駅東出入口から約1.8キロメートルの距離にあります。駐車場も完備されており、訪問者にとって便利な環境が整っています。
福岡市博多区にある住吉神社は、全国にある住吉神社の始祖とされる歴史と伝統を持つ神社です。航海守護神として崇敬される住吉三神を祀り、国家的な神社としての役割を果たしてきました。今日では、地域の人々からの信仰を集めるとともに、福岡市内外から多くの参拝者が訪れる名所となっています。