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天照皇大神宮

(てんしょうこうたいじんぐう)

天照皇大神宮は、福岡県糟屋郡久山町猪野に位置する、歴史と伝統を持つ神社です。旧社格は県社であり、別称として伊野天照皇大神宮、伊野皇大神宮、伊野神社とも呼ばれています。この神社は伊勢神宮内宮の別名でもある「皇大神宮」と同じ名称を持つことから、その名を冠する神社として崇敬されています。

神社の歴史と由来

神功皇后と天照大神

天照皇大神宮の起源は、仲哀天皇9年(200年)に遡ります。熊襲征伐の途中で、仲哀天皇は「われを祭れば、戦をせずとも財宝の国を得ることができる」という神の託宣を受けたにもかかわらず、その神託を疑ったために、その祟りを受けて香椎宮で崩御したと伝えられています。その後、神功皇后はこれを知り、小山田の村(現在の福岡県久山町大字山田)に斎宮を建て、自らが神主となり、天照大神を祀ったことが神社の始まりとされています。

平安時代から室町時代の変遷

『三代実録』によれば、元慶元年(877年)には、天照大神に関する神位が授けられた記録があり、古くから崇敬されていたことがわかります。室町時代末期には、都で天照大神の祭祀を司っていた豊丹生有時が、罪によって豊前国英彦山の麓に流された際、大神の御神体も共に移されたとされています。その後、御神体は猪野の地に移され、天照皇大神宮が築かれるに至りました。

戦国時代と神社の発展

天正14年(1586年)、立花城を攻めた島津氏がこの地に侵入した際、神社の守護者であった兵庫大夫は御神体を竃門山に隠しましたが、島津兵によって一時奪われる事態となりました。その後、神の祟りを恐れた島津兵が豊後国柞原八幡宮に御神体を納めた後、再び伊野に戻されることになりました。この出来事を機に、天照皇大神宮は再びこの地で崇敬を集めるようになりました。

江戸時代の再興と式年遷宮

江戸時代に入ると、筑前藩第3代藩主黒田光之が延宝5年(1677年)に新たな社殿を造営し、大神宮を現在の場所に遷移させました。この際、宮司豊丹生信重と工匠工藤太夫清重が伊勢神宮に派遣され、社殿は伊勢神宮を模して建てられました。また、天照皇大神宮では、20年ごとに伊勢神宮に倣った式年遷宮が行われており、前回の遷宮は平成19年(2007年)に実施されました。

天照皇大神宮へのアクセスと周辺施設

交通アクセス

天照皇大神宮は、JR九州篠栗線篠栗駅からイコバス猪野経由でトリアス久山行きに乗車し、「猪野」バス停で下車後、徒歩5分(約380m)の場所にあります。また、博多バスターミナルからはJR九州バス直方線に乗車し、「山の神」バス停で下車後、徒歩27分(約2.2km)で到着します。マイカーでのアクセスも可能で、九州自動車道福岡インターチェンジから約6.5kmの距離にあります。神社には約30台の駐車場が完備されています。

神社内の見どころ

天照皇大神宮には、訪れる人々を迎える立派な鳥居や、自然の美しさを堪能できる「岩井の滝」、そして歴史を感じさせる神殿や拝殿があり、境内は厳かで神聖な雰囲気に包まれています。社殿の建築様式は伊勢神宮に倣っており、その壮麗な造りに心を打たれることでしょう。また、定期的に行われる式年遷宮の際には、新たに造営された社殿を目にすることができ、古代から続く神事に触れる貴重な機会となります。

天照皇大神宮の意義と信仰

天照皇大神宮は、その歴史と共に福岡県内外からの信仰を集める神社として知られています。神社が祀る天照大神は、日本の宗教的象徴であり、その御神体を守り続けてきた歴史は、この神社の尊い価値を物語っています。毎年、多くの参拝者が訪れ、神社の神聖な雰囲気を感じながら、天照大神への祈りを捧げています。天照皇大神宮は、単に古い神社というだけでなく、日本の宗教文化においても重要な役割を担っている場所なのです。

まとめ

天照皇大神宮は、その由緒ある歴史と伝統的な神事によって、多くの人々に崇敬され続けてきた神社です。訪れる人々は、その荘厳な社殿や美しい自然に触れながら、日本の宗教文化の深さを感じることができるでしょう。ぜひ一度、この神聖な場所を訪れ、天照大神への祈りを捧げてみてください。

Information

名称
天照皇大神宮
(てんしょうこうたいじんぐう)

博多・天神・太宰府

福岡県