東長寺は、福岡県福岡市博多区に位置する真言宗の寺院で、九州における真言宗九州教団の拠点寺院として重要な役割を担っています。山号は南岳山、正式名称は東長密寺です。博多の旧市街にあるこの寺院は、歴史的にも文化的にも深い意味を持ち、空海(弘法大師)が創建したと伝えられる日本最古の寺の一つです。
東長寺の創建は、806年に空海が唐から帰国した際に博多に滞在したことに由来します。空海は密教の東漸(とうぜん)を祈願し、不動明王像を自ら彫刻して本尊とし、一伽藍を建立しました。この寺院名「東長密寺」は「密教が東に長く伝わるように」との願いを込めて名付けられました。
創建当初の東長寺は、博多の海辺で大伽藍を構えていましたが、元弘年間の兵火により一度は焼失、その後再興されました。しかし、永禄・天正年間に再び兵火に見舞われました。現在の東長寺は、福岡藩二代藩主の黒田忠之が真言宗に帰依し、鐘楼や護摩堂、大日堂、本堂などを建立したことで再興されました。また、寺領の寄進により、菩提所としての地位が確立されました。
東長寺の山門には「南岳山」の扁額が掲げられており、門には「九州三十六不動霊場第三十六番札所」と「九州八十八ヶ所第一番霊場」の表札が掲げられています。また、山門の右側には「弘法大師開基 真言密教最初霊場 南岳山 東長密寺」の寺号標が、左側には「南岳山 東長密寺開創千弐百年記念 弘法大師開基 密教東漸日本最初霊場 西安 青龍寺住持 寛旭」の石碑が建てられています。
天保13年(1842年)に建立された六角堂は、回転式の仏龕を持つ仏殿で、福岡市指定文化財にも指定されています。通常は扉が閉まっていますが、毎月28日に開帳され、内部を拝観することができます。
大仏殿には「福岡大仏」と呼ばれる木造迦如来坐像が安置されています。この大仏は高さ10.8メートル、重さ30トンの檜造りで、1992年に完成しました。煩悩の数(108)にちなみ、像高は10.8メートルに設計されています。光背の後方には5000もの小仏が並んでおり、大仏殿内には「地獄極楽巡り」が体験できる暗い通路も設けられています。
2011年に完成した五重塔は、総檜造で高さ25.9メートルを誇り、伝統工法を用いて釘を一切使わずに建てられました。塔の内部には四季の風物や仏像が描かれた日本画が飾られており、相輪には黒田家の紋章が彫られています。耐震性を高めるために最新の免震技術が使用されています。
東長寺には、平安時代中期に作られた木造千手観音立像が重要文化財として指定されています。この観音像は、槙材一木造りで像高83センチメートル、十一面観音の形式を持ち、精巧な彫刻技術が特徴です。
六角堂とその附属仏龕は福岡市指定の有形文化財に指定されています。六角堂は天保13年に豊後屋栄蔵が名古屋の堂宮大工・伊藤平左衛門を招いて建立し、仏龕には六躯の仏像が納められています。屋根には行基葺という古い工法が用いられ、施主の意向が反映された意匠が施されています。
東長寺には、福岡藩の二代藩主黒田忠之、三代藩主黒田光之、八代藩主黒田治高の墓所があり、これらも福岡市指定の記念物として保存されています。これらの墓所には大きな五輪塔が建ち並び、黒田家の歴史と共に今もなお大切にされています。
東長寺の節分大祭は「歳徳神節分祭」とも呼ばれ、室町時代から続く福岡・博多で最も古い節分祭です。期間中には重要文化財の千手観音像や福岡市指定文化財の六角堂が開帳され、多くの参拝者で賑わいます。豆まきは年男や地元の名士によって行われ、海外からの留学生が参加する「招福魔滅まき」も開催されます。
東長寺では、1月1日の新春初詣や、2月3日の節分大祭、6月15日の弘法大師誕生祭など、さまざまな年間行事が行われています。これらの行事には地域の人々や観光客が集い、伝統的な儀式が行われています。
東長寺は、博多祇園山笠の追い山笠のコースの一部にもなっており、東長寺の正門前では、各流の山笠が舁き回る伝統が続いています。これは、かつて東長寺が櫛田神社を管理していたことに由来し、今でもその敬意が表されています。
東長寺へのアクセスは、福岡市地下鉄空港線の祇園駅からすぐの場所にあり、また福岡高速環状線の呉服町出入口からも徒歩圏内で訪れることができます。