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岡田宮(岡田神社)

(おかだぐう)

岡田宮は、福岡県北九州市八幡西区黒崎地区に位置する歴史ある神社で、正式には岡田神社と呼ばれています。この神社は、日本最古の歴史書『古事記』にも記載されており、初代天皇である神武天皇が東征の際にこの地に逗留したと伝えられています。天・地・人を象徴する三ノ宮を有し、北九州市民に深く親しまれています。

岡田宮の歴史的背景

岡田宮は、かつて崗地方(旧遠賀郡)を治めた熊族が、祖先神を祀るために創建したとされ、その後、この地域一帯は「熊手」と呼ばれるようになりました。伝承によれば、神武天皇が東征の途上でこの地に1年間滞在し、八所神を祀ったことが神社の始まりとされています。これにより、岡田宮は神武東征における重要な候補地の一つと考えられています。

また、仲哀天皇の時代には、崗県主熊鰐が神功皇后を案内し、岡田宮で八所神を奉祭したことが『日本書紀』に記されています。このように、岡田宮は北九州の歴史と深く結びついており、神社の鎮座する地は古くから交通の要所として栄えました。

藤原純友の乱と岡田宮

岡田宮は、天慶3年に起きた藤原純友の乱においても重要な役割を果たしました。官軍の主将である小野好古と副将の源経基が戦勝を祈願し、神鈴を奉納したと伝わっています。この歴史的な出来事により、岡田宮はさらにその信仰が篤くなりました。

また、建久5年には、遠賀郡・鞍手郡を領した宇都宮重業が祭礼法度を定め、波多野兼直が祭祀を行うようになりました。これにより、岡田宮は社領18ヶ所・末寺9坊を擁し、大いに繁栄しました。

戦火からの復興

永禄2年、岡田宮は大友氏の兵火により社殿を焼失しましたが、永禄8年麻生元重によって社殿が復興されました。その後も、岡田宮は地域の信仰の中心として繁栄し続けました。

岡田宮の遷座と黒崎熊手

慶長10年には、黒崎城が築城され、黒崎宿が整備されるとともに、岡田宮も貞元から現在の場所へ遷座されました。これにより、岡田宮は黒崎地区全体の総鎮守として、福岡藩のみならず、長崎街道を通る諸大名や文人墨客からも篤い崇敬を受けるようになりました。

また、慶応元年には、三条実美が太宰府へ落ち延びる途中、岡田宮に和歌を奉納したというエピソードも伝わっています。岡田宮は、古来より北九州の要所として、文化的にも重要な役割を果たしてきました。

現代における岡田宮

明治時代に入り、岡田宮は明治5年に村社に列し、明治41年には神饌幣帛料供進社に指定されました。現在では、北九州市の副都心である黒崎地区の鎮守神として、多くの参拝者で賑わっています。

岡田宮の祭神

岡田宮では、さまざまな神々が祀られています。主な祭神は以下の通りです。

岡田宮の主祭神

熊手宮の祭神

八所宮の祭神

祭事・年中行事

岡田宮では、年間を通じてさまざまな祭事が行われ、地域の人々に親しまれています。特に、黒崎祇園山笠は北九州の風物詩として有名です。

祇園大祭(黒崎祇園山笠)

7月21日~23日に開催されるこの祭りは、岡田宮への奉納行事として、毎年多くの観光客が訪れます。黒崎祇園山笠は、威勢の良い掛け声とともに、豪華な山笠が街を練り歩く迫力満点の祭りです。

放生大祭

9月24日~25日に開催される放生大祭は、自然への感謝を表す祭りであり、古来より続いています。この行事では、魚や鳥を放つ儀式が行われ、生命への感謝を捧げます。

秋季大祭(例大祭)

10月18日~19日には秋季大祭が行われ、豊作を祈願する重要な行事となっています。地域の農業や産業の発展を祈るこの祭りには、地元の住民や参拝者が多く集まります。

アクセス情報

岡田宮へのアクセスは非常に便利です。最寄りの駅であるJR鹿児島本線 黒崎駅から徒歩約10分の距離にあり、公共交通機関を利用して簡単に訪れることができます。また、参拝者用無料駐車場も完備されているため、車でのアクセスも可能です。

まとめ

岡田宮は、古代の歴史から現代まで北九州の重要な神社として、多くの人々に崇敬されてきました。歴史的な背景に加え、毎年行われる黒崎

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岡田宮(岡田神社)
(おかだぐう)

北九州・門司・小倉

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