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篠崎八幡神社

(しのざき はちまん じんじゃ)

篠崎八幡神社は、福岡県北九州市小倉北区に鎮座する神社であり、その正式名称は篠崎八幡宮とも呼ばれています。旧社格は県社で、北九州市内で有数の神社として多くの市民から親しまれています。

祭神

篠崎八幡神社の主祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇です。さらに、宗像三女神と玉依姫命も併せて祀られています。

歴史

創建と由緒

篠崎八幡神社の創建は敏達天皇12年(584年)に遡り、当時、高尾山の麓に応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を祀り、葛城小藤丸に奉祭させたことが始まりとされています。以降、奈良時代には藤原広嗣の乱の際に官軍の戦勝祈願が行われるなど、広く崇敬を集めました。

戦乱と再建

しかし、藤原純友の反乱により一度社殿が焼失。文治2年(1186年)に現在地へ遷座しました。その後、足利尊氏など武家からの崇敬を受けていましたが、天正年間には大友宗麟の兵火によって再び社殿が焼失し、しばらくの間衰退しました。

江戸時代の復興

江戸時代に入ると、篠崎八幡神社は細川氏と小笠原氏の庇護を受け、小倉藩の大社として再び栄えました。明治時代には村社に列し、昭和2年(1927年)には県社に昇格しました。

現代の篠崎八幡神社

現在では北九州高速道路が近くを通り、交通アクセスも良好です。篠崎八幡神社は北九州有数の神社として、多くの参拝者に親しまれています。

境内

御神殿

現在の御神殿は七回目の造営にあたり、昭和46年に竣工しました。設計は日本建築工芸株式会社の小橋英雄氏によるものです。御神殿は神楽殿や随神門、社務所、廻廊、鳥居門、東西大鳥居などと統一感のある朱塗彩色が施されており、広い境内に調和しています。

神楽殿

神楽殿も昭和46年に竣工し、祭典時には舞神楽や豆まき神事などの賑やかな神事が執り行われます。

随神門(朱門)

昭和54年に竣工した随神門は、豊磐窓神と櫛磐窓命の像が両袖に立つ厳かな門です。門の上には「玄監」と書かれた大額が掲げられており、これは豊前小倉藩五代藩主小笠原忠苗公の筆とされています。「玄監」とは、神域に臨む際の敬虔な心を表す言葉です。

手水舎

参拝者が身心を清めるための手水舎は昭和62年に竣工しました。手水の作法としては、左手、右手、口を順に清め、最後に柄杓を洗い流します。

社務所

昭和59年に竣工した社務所では、御祈願の受付や授与所が設けられています。

参集殿

昭和46年に竣工した参集殿は、直会会場や参拝者控え室、応接室などがあり、結婚式や会議なども行われる多目的施設です。

鳥居門

鳥居門は昭和54年に随神門と共に竣工し、当社の正面に位置する90段の石段と共に、参拝者を迎える役割を果たしています。

力石

力石は、神功皇后が三韓征伐から凱旋の際に、皇子である応神天皇をこの石の上に立たせたという伝承があります。以来、「安産」「子安成長」「立身出世」の御利益がある霊石として崇敬されています。

八雲社(祇園社)

八雲社は須佐之男命と櫛名田比売を祭神とし、地域住民から「厄除け」「縁結び」の神として崇敬されています。

蛇の枕石

篠崎八幡神社には「蛇の枕石」という昔話があります。この石は、恋に破れた大蛇が夜な夜な女蛇を想って泣いた場所として知られています。この石には「安穏祈願」「恋愛成就」「夜泣き封じ」の御利益があるとされています。

幸神社(ゆきじんしゃ)

道祖神・猿田彦大神を主祭神とする幸神社は、文治2年(1186年)に祠を祀ったことが始まりです。鬼門を守護し、邪気や疫病を防ぐ「塞の神」として、また「幸福守護」の神として広く信仰されています。

雲龍殿賀茂宮

雲龍殿賀茂宮は、篠崎八幡宮の摂社であり、主祭神は賀茂別雷命です。この神は「雷神」または「龍神」として知られ、国家の安穏、縁結び、安産、交通安全、厄除けなど、多くの御利益をもたらす守護神です。

まとめ

篠崎八幡神社は、古い歴史と伝統を持つ神社であり、福岡県北九州市において重要な役割を果たしてきました。戦国時代や江戸時代における数々の戦火や復興の歴史を乗り越え、現在も地域住民に深く愛され、崇敬されています。参拝者はその壮麗な建築美に感嘆しつつ、多くの御利益を受けるために訪れます。

Information

名称
篠崎八幡神社
(しのざき はちまん じんじゃ)

北九州・門司・小倉

福岡県