英彦山は、福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町にまたがる、標高1,199mの山です。日本百景や日本二百名山に選ばれており、豊かな自然と歴史が息づく山です。さらに、新潟県の弥彦山、兵庫県の雪彦山と共に「日本三彦山」の一つに数えられ、国の史跡にも指定されています。
英彦山は北岳、中岳、南岳の3つの峰から成り、最高点は南岳の1,199mです。福岡県内では釈迦岳、御前岳に次いで3番目に高い山であり、山域は福岡県と大分県の県境未確定地域に位置しています。
かつて「彦山」と表記されていた英彦山は、1729年(享保14年)に霊元法皇の院宣により「英」の字が加えられました。この名は、山の霊験の高さを讃える意味が込められています。
山の中腹には英彦山神宮奉幣殿があり、多くの参拝者が訪れます。中岳の山頂には上津宮が鎮座し、山岳信仰の中心地となっています。2005年には、英彦山神宮へ続く参道にスロープカーが完成し、参道起点から奉幣殿まで約15分でアクセスできるようになりました。このスロープカーは、参拝者が山の厳しさを味わいながらも、快適に参拝できる手段として好評を博しています。
北岳の北東には「望雲台」と呼ばれる切り立った岩壁があります。30cm程度の足場が続くこの岩壁からは、下界に広がる森林や鷹ノ巣山を望む絶景が楽しめます。本来は山伏の修行場として利用されていましたが、現在ではロッククライミングの名所としても知られています。ただし、挑戦する際は自己責任で登ることが求められます。
英彦山の麓にある深倉峡は、紅葉の名所として有名です。毎年秋には多くの観光客が訪れ、その美しい紅葉に魅了されます。深倉峡の奥に位置する「男魂岩」と「女岩」は、巨大なしめ縄で結ばれており、毎年11月には「男魂祭」という祭りが催されます。この奇岩は、古代からの自然崇拝の対象となっており、その神聖さが現在も受け継がれています。
英彦山には、旧亀石坊庭園をはじめとする「英彦山庭園群」が存在し、これらは国指定名勝に指定されています。これらの庭園は、山岳信仰と自然美が融合したものであり、訪れる人々に深い感動を与えます。四季折々の風景が楽しめるこれらの庭園は、英彦山を訪れる際にぜひ立ち寄りたいスポットです。
英彦山周辺の山麓には、古くから人々が定住していた痕跡があります。特に、今川源流部では縄文時代前期から後期にかけての狩猟用落とし穴遺構や集落跡が発見されています。福岡県内では珍しいことに、新潟県糸魚川から持ち込まれた硬玉製の大珠が見つかっており、縄文時代後期には遠く離れた地域との交流があったことが伺えます。
英彦山は羽黒山(山形県)や熊野大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」に数えられ、古くから修験道の聖地として知られてきました。山伏たちが修行を行った坊舎の跡地など、往時の面影を残す史跡が点在しており、訪れる人々に歴史の深さを感じさせます。最盛期には数千名もの僧兵を擁し、武芸の鍛錬が行われていたと言われています。
英彦山を拠点とした豊前佐々木氏は、山伏たちの強力な支援を受けて勢力を拡大していました。しかし、天正9年(1581年)に大友義統の軍勢による焼き討ちを受け、多くの坊舎が焼け落ち、その勢力は大きく衰退しました。その後、豊前に新たに領主として入った細川忠興によって、佐々木氏の勢力はさらに弱体化しました。
英彦山には、「彦山豊前坊」という天狗が住むという伝承があります。この豊前坊大天狗は、九州の天狗の頭領とされ、信仰心の厚い者を助け、不心得者には罰を与えると言われています。近隣の航空自衛隊築城基地では、この天狗の伝説に基づき、第304飛行隊の機体マークとして天狗がデザインされています。このデザインは「天狗の如く山河を超え、鎮西の空を飛翔すること」を象徴しています。
英彦山北東にある高住神社には、御神木である天狗杉が祀られています。この神社は古くからの修験道の霊地であり、全盛期には多くの山伏が修行を行っていました。現在でも、天狗杉は多くの信仰者から崇敬されています。
2014年6月、英彦山を研修で訪れた柳川高等学校の女子生徒26名が、校内で集団パニックに陥るという事件が発生しました。この出来事は、霊に取り憑かれたのではないかという噂が広まり、インターネット上で話題となりました。このように、英彦山は現代でも人々の想像力を掻き立てる場所であり、神秘的な存在として語り継がれています。
英彦山は、その豊かな自然と古代からの信仰・歴史が交錯する霊峰です。修験道の聖地として多くの歴史的遺産を持ち、紅葉の名所や絶景スポットとしても知られています。また、天狗伝説や豊前佐々木氏にまつわる逸話など、訪れる人々に多くの物語を提供する場所です。英彦山を訪れる際には、その自然と歴史、そして伝承に触れ、心静かに山の息吹を感じてみてはいかがでしょうか。