竹原古墳は、福岡県宮若市竹原にある装飾古墳で、6世紀後半に築造されたとされています。この古墳は、国指定の史跡として高い歴史的・文化的価値を持ち、彩色壁画が現存している点で特に注目されています。竹原古墳は、九州地方に数多く分布する装飾古墳の一例で、諏訪神社の境内に位置しています。
竹原古墳は、1956年(昭和31年)3月、旧若宮町(現宮若市)の在野の考古学者によって発見されました。発見当時、古墳の近くには相撲場があり、土俵の土取りの際に偶然に入口が開口したとされています。発見直後、清賀義人氏をはじめとする考古学者たちによって壁画が確認され、緊急調査が行われました。翌年の1957年(昭和32年)2月22日には、国の史跡に指定されました。
竹原古墳は円墳で、直径17.5メートル、墳丘は2段に築かれています。石室は横穴式で全長は約6.7メートルに達し、複室構造を持つ珍しい古墳です。後室の奥壁と前室の両袖石には、赤と黒の顔料で描かれた壁画が施されており、その図柄には馬、波、人物、龍、朱雀などが含まれています。
竹原古墳は、全国でも屈指の彩色壁画を有する装飾古墳として評価されています。装飾古墳とは、石室や横穴墓の内部に絵や文様が描かれているものを指します。これらは全国に約700基ほど存在し、その多くが九州地方の熊本県や福岡県に集中しています。竹原古墳の壁画は、葬送儀礼や中国の信仰に基づいた宗教的意味を持つと考えられており、特に「四神信仰」や「龍媒信仰」といった大陸からの影響が強く表れています。
竹原古墳の壁画は、非常に優れた技術で描かれたもので、龍や朱雀、馬、人物などが特徴的です。これらの図文は、単に装飾的な意味合いだけではなく、葬送儀礼や信仰的な側面も含んでいると考えられています。特に、龍や朱雀のモチーフは中国の古代信仰に基づいたもので、当時の日本と大陸との文化的な交流の証とされています。
竹原古墳の壁画にはさまざまな解釈がなされています。葬送儀礼を描いたもの、または古代中国の「四神信仰」を表現したものであるという説が有力です。「四神信仰」とは、東西南北を守護する神獣(青龍、朱雀、白虎、玄武)を配置することで、被葬者の安寧を願う信仰です。また、「龍媒信仰」とは、龍と馬を結びつけることで、強力な駿馬を得ることを願う信仰であり、これも大陸からの影響が強いとされています。
竹原古墳からは、馬具や装身具、武具といった副葬品が出土しました。馬具としては雲珠や杏葉、鋲留金具が、装身具としては金環や銀環、勾玉などが発見されています。武具には、刀身や柄、鉄鏃が含まれます。これらの出土品から、被葬者が馬との強い関係を持っていたことが推測されます。しかし、発見前に盗掘が行われていた形跡があるため、出土品の正確な配置は不明です。
竹原古墳の被葬者については、馬に深い関わりを持つ人物であったと考えられています。馬具が多く出土していることや、壁画に馬の姿が描かれていることがその証拠です。当時、馬は貴重な戦力であり、社会的な地位の象徴でもありました。そのため、竹原古墳の被葬者は、武人や貴族階級の人物であった可能性が高いとされています。
竹原古墳は、その歴史的価値を保護するために保存施設が整備されています。保存観察施設内では、竹原古墳の壁画を間近で観察することが可能です。また、保存状態を維持するための工夫が施されており、学術的な研究や教育にも大いに貢献しています。
竹原古墳の壁画を安全かつ詳細に観察するための準備室も設置されています。ここでは、壁画の保存状態を確認しながら、竹原古墳の歴史や文化的背景についての説明を受けることができます。
竹原古墳内部は、特別に設けられた見学施設から観察することができます。保存状態を守るため、直接の接触は制限されていますが、施設内では詳細な解説を受けながら見学ができます。
竹原古墳の見学は、午前9時から午後4時まで可能で、受付は午後3時30分までとなっています。月曜日が休館日ですが、月曜日が祝日の場合は翌日が休館となります。
入館料は、大人220円、中高生110円、小学生は50円と、比較的手頃な価格です。竹原古墳の壁画や出土品を間近で見学できるため、この価格は非常に価値のあるものといえるでしょう。
公共交通機関を利用する場合、博多バスターミナルまたは直方駅からJR九州バスの直方線に乗車し、「黒目橋」で下車、徒歩14分(約1.1㎞)の距離です。また、福間駅からは宮若市コミュニティバス福間線に乗車し、「竹原橋」で下車、同じく徒歩14分の距離となっています。
マイカーでのアクセスも便利で、九州自動車道若宮インターチェンジから約2.5㎞の距離にあります。現地には駐車場も完備されており、車での訪問も快適です。