有馬記念館は、福岡県久留米市篠山町に位置する郷土資料館です。館内には久留米藩主有馬家にまつわる歴史的資料や美術工芸品が展示されており、地域の歴史や文化を深く学べる場所です。記念館の運営は公益財団法人有馬記念館保存会によって行われています。地元の歴史を継承し、多くの訪問者に貴重な情報を提供する役割を担っています。
有馬記念館は、1959年(昭和34年)に久留米市が市制70周年を迎えたことを記念し、1960年(昭和35年)に設立されました。当時、株式会社ブリヂストンの社長であった石橋正二郎氏が寄附を行い、地域の郷土資料の調査や研究を推進するために設立されました。また、久留米市が市制120周年を迎えた2009年(平成21年)には、大規模な改修工事が行われ、より現代的で魅力的な展示施設へと生まれ変わりました。
有馬記念館の展示室では、久留米藩主であった有馬家ゆかりの貴重な歴史資料や美術工芸品が展示されています。これらの展示は、久留米地域の歴史や文化の奥深さを伝えるもので、訪問者は過去の久留米の姿に触れることができます。また、VTRコーナーでは、視覚的に歴史を学ぶことができ、観光情報コーナーでは、久留米市およびその周辺地域の観光スポットについての情報が提供されています。
有馬記念館は、2階建ての施設で、さまざまな設備が整っています。
館内の1階には「レストラン有馬」があり、訪問者は展示を楽しんだ後に食事を楽しむことができます。地域の味覚を味わいながら、ゆったりとした時間を過ごすことができるスポットです。
2階には、展示室の他にVTRコーナーや観光情報コーナーがあります。VTRコーナーでは、映像を通じて有馬家や久留米の歴史をさらに深く知ることができ、観光情報コーナーでは、久留米市内外の観光地の案内が充実しています。
有馬記念館の開館時間は10:00から17:00までです。入館は閉館の30分前まで可能であり、訪問者はゆったりと展示を楽しむことができます。また、火曜日が定休日となっており、火曜日が祝日の場合は翌日が休館日です。年末年始の12月28日から1月4日までは休館期間となっています。
有馬記念館の入場料は以下の通りです。
特別展の場合は、別途入場料が必要となります。また、土曜日には高校生以下は無料で入場することができるため、家族連れにも大変好評です。
有馬記念館へのアクセスは公共交通機関や車での利用が可能です。最寄りの交通機関やアクセス方法は以下の通りです。
九州自動車道「久留米インターチェンジ」から国道210号を久留米城跡に向かって約20分のドライブです。駐車場も完備されているため、車でのアクセスが便利です。
有馬氏(ありまし)は、日本の武家・華族として歴史に名を残した氏族で、村上源氏赤松氏の庶流にあたります。室町時代には、摂津国有馬郡を拠点とし、後に久留米藩主家を出すなど、長い歴史を持つ一族です。有馬氏はその後、伯爵家や子爵家など華族としても名を連ね、明治維新以降も日本の政治や社会に影響を与えました。
有馬氏の起源は室町時代にさかのぼります。赤松則村の孫である有馬義祐が、明徳2年(1391年)の明徳の乱の後、摂津国有馬郡の地頭に任命され、その地に移り住んだことが始まりです。有馬氏は足利将軍家に仕え、赤松氏から分かれて摂津国に根を下ろしました。
戦国時代、有馬国秀は三好長慶に従属し、摂津国の国衆として活動していましたが、織田信長の勢力が台頭すると、信長に従わない荒木村重と対立しました。天正3年(1575年)、有馬国秀が自害し、摂津有馬氏は断絶することとなります。
関ヶ原の戦いの後、有馬則頼は東軍に与し、その功績により摂津国有馬郡三田藩2万石を賜ります。その後、則頼の子孫は久留米藩21万石の藩主となり、江戸時代を通じて久留米藩を支配しました。久留米藩主としての有馬家は、廃藩置県まで続きました。
明治維新後、有馬氏は華族となり、久留米藩の最後の藩主であった有馬頼咸は伯爵に叙されました。頼咸の五男である頼万は、伯爵として宮内省や農商務省で活躍し、また、久留米育英会総裁として教育事業にも力を入れました。その息子、頼寧は農林大臣を歴任し、さらに日本中央競馬会の理事長としても知られています。
有馬記念館には、有馬氏の長い歴史を伝える資料が多数展示されています。特に、久留米藩主家としての有馬家が久留米地域に果たした役割や、明治以降の華族としての活躍が紹介されており、歴史好きにはたまらない展示内容となっています。有馬記念館を訪れることで、単に久留米藩や有馬家の歴史だけでなく、日本の華族制度や明治維新後の社会の変遷についても学ぶことができるでしょう。