水天宮は、福岡県久留米市に位置する神社で、全国にある水天宮の総本宮です。旧社格は県社であり、神社本庁の別表神社にも指定されています。
水天宮では、天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院・平徳子)、および二位の尼(平時子)を主な祭神として祀っています。
寛文10年(1670年)に久留米藩が寺社の由緒を調査した際、尼御前社と呼ばれていた当時の祭神は、尼御前大明神、左荒五郎大明神、右安坊大明神の三神とされていました。尼御前大明神は筑後川(千年川)の水神であり、左荒五郎はその荒御魂として牛馬守護の役割を果たす水神、右安坊は和御魂であり安徳天皇を指していると伝えられています。また、河伯水神の信仰もあったことから、かつての水天宮は筑後川水系の水神を祀る民間信仰の神社としての性質を持っていたと考えられます。
社伝によれば、水天宮の起源は寿永4年(1185年)に遡ります。壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局・伊勢が筑後川(千歳川)のほとりに逃れ、建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたことから始まります。伊勢は剃髪して千代と名乗り、地域の住民に加持祈祷を行ったため、当初は尼御前大明神や尼御前神社と呼ばれていました。
その後、千代のもとに平知盛の次男・平知時の子である右忠が肥後国から訪れ、千代の後継者となりました。これが現在まで続く社家・真木家の始まりです。幕末の志士であった真木保臣(真木和泉守)は第22代宮司であり、彼は境内社・真木神社に祀られています。
慶長年間に水天宮は久留米市新町に遷座され、慶安3年(1650年)には久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって現在の場所に社殿が建設されました。これが現在の総本宮としての久留米水天宮の始まりです。水天宮は歴代藩主に崇敬され、とりわけ第9代藩主の頼徳は、文政元年(1818年)に江戸屋敷に分霊を勧請し、これが後に東京の水天宮となりました。
水天宮の境内には、立派な社殿があり、真木和泉守の事績を紹介する真木和泉守記念館が設けられています。また、真木神社の隣には古民家があり、これは真木保臣が倒幕の策源地とした山梔窩(さんしか)を模したものです。
水天宮の周囲にはいくつかの境内外社があります。真木神社には第22代宮司であった真木和泉守が祀られています。他にも千代松神社や秋葉神社、そして肥前狛犬が鎮座する水神社も見どころのひとつです。
水天宮では年間を通じて多くの祭事が行われます。特に5月5日に行われる春大祭が盛大で、毎年多くの参拝者で賑わいます。また、7月21日の真木神社例祭、8月5日の筑後川花火大会、そして8月5日から7日にかけて行われる夏大祭も重要な行事です。
水天宮の例大祭は5月5日ですが、毎月5日も縁日となっており、東京水天宮ではこの日に多くの参拝者が訪れます。
水天宮には多くの文化財があり、その中でも特に重要なものは宝物館に収蔵されています。以下はその代表的な文化財です。
その他、虚空蔵菩薩坐像懸仏や、石像金剛力士立像など、室戸市指定の文化財も多数存在しています。
車でのアクセスも便利で、九州自動車道久留米インターチェンジから約6.8㎞の距離にあります。境内には駐車場も完備されており、車での参拝がしやすい環境です。