猫尾城は、福岡県八女市にあった山城で、かつての日本の城跡です。この城は現在、福岡県指定の史跡となり、観光スポットとしても知られています。
猫尾城は、矢部川と笠原川が合流する地点の東側に位置する標高240.1メートルの猫尾山の山頂に築かれました。山の地形を巧みに活かし、自然の地勢を利用した構造が特徴です。猫尾城の本丸は、南北・東西それぞれ約56メートルと28メートルの大きさがあり、周囲に犬走り(細い通路)が設けられています。また、東西と建物部分には石垣が築かれ、南北には土塁が配されていました。
本丸の西側には南北18メートル、東西40メートルの馬場があり、それを挟んで約30メートル四方の二の丸が設けられています。一方、本丸の東側には空堀(堀の一種)を挟んで三の丸が配置され、立体的な構造で城内の防衛を強化していました。また、追手門の北側や本丸の南東・北東隅に櫓があり、戦略的に優れた造りになっていました。
猫尾城の城主であった黒木氏の屋敷は、西側の矢部川と笠原川に挟まれた場所に位置していました。この屋敷は二の丸と土塁で繋がっており、重要な施設として機能していました。現在でも城跡の一部に屋敷跡が残り、当時の姿を感じることができます。
猫尾城は、12世紀末に根占城主の源助能によって築かれたとされています。助能の子である黒木定善がこの地を拠点とし、以降黒木氏は代々猫尾城を本拠地としました。この城の歴史は、南北朝時代から戦国時代にかけて、さまざまな戦の舞台となったことでも知られています。
建武3年(1336年)には、足利尊氏が黒木城(猫尾城)に拠る南朝方の菊池武敏を攻撃するよう命じ、これによって猫尾城は一時落城しました。しかし、その後再建され、応安7年(1374年)には今川義範らの攻撃を受けて降参することになりました。
戦国時代の天正12年(1584年)、大友義統が筑後に進出し、龍造寺氏についていた黒木実久が守る猫尾城を攻囲しました。この攻囲戦では、水源を止められ兵糧が尽きかけるなどの苦しい戦況が続きましたが、龍造寺氏の援将である土肥家実や馬場信貞が奮戦し、戦況は一進一退を続けました。その後、立花道雪らの攻撃によって最終的に陥落しました。
慶長6年(1601年)には田中吉政が筑後に封じられ、猫尾城に辻重勝を城番として置きましたが、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となりました。1983年(昭和58年)には福岡県の史跡に指定され、城跡には遊歩道や休憩所が設けられ、観光地として整備されています。
猫尾城跡は現在、城山公園として整備されており、豊かな自然と歴史を感じながら散策を楽しむことができます。城跡には本丸の石積や土塁が残り、かつての城郭の姿が感じられる場所です。以下に猫尾城跡の見どころを紹介します。
現在、猫尾城跡は「城山公園」として整備され、多くの観光客が訪れます。公園内には遊歩道があり、四季折々の自然の美しさを楽しみながら、歴史に思いを馳せることができます。また、展望台からは八女市の美しい風景を眺めることができ、絶好の撮影スポットとしても人気です。
本丸や二の丸跡には、かつての石積みや土塁が残っています。これらの遺構は、猫尾城の壮大な構造と防御の工夫を伝えるものであり、歴史ファンには見逃せないポイントです。特に本丸跡の石積みは見事で、戦国時代の城郭建築技術の高さを感じさせます。
猫尾城は矢部川と笠原川の合流点に位置しており、城山から川を見下ろす風景は格別です。これらの川は、猫尾城の防御線として機能していただけでなく、美しい景観を形成しています。季節ごとに異なる風景が楽しめるため、リラックスしながら自然の美しさを満喫することができます。
猫尾城跡へのアクセスは、以下の通りです。
猫尾城跡は、歴史と自然が調和した観光スポットとして、多くの観光客に親しまれています。戦国時代の遺構と美しい風景が楽しめる猫尾城跡を訪れ、豊かな歴史に触れてみてはいかがでしょうか。