石人山古墳は、福岡県八女郡広川町一條に位置する前方後円墳で、八女古墳群の一部として国の史跡に指定されています。この古墳は、筑紫君磐井の祖父の墓と推定され、かつては筑紫君磐井の墓とも考えられていました。
石人山古墳の墳丘長は約107メートルあり、前方部の幅は約63メートル、高さは約11メートル、後円部の径は約53メートルで高さは約12メートルです。墳丘は前方部が2段、後円部が3段で構成され、北側のくびれ部には造出が残されています。また、築造当時は周濠や周堤も備えていたとされ、現在でも前方部西側や後円部東側にその一部が確認できます。
出土した須恵器などの遺物から、石人山古墳は5世紀前半から中頃にかけて築造されたと考えられ、岩戸山古墳の被葬者である筑紫君磐井の祖父にあたる人物の墓ではないかと推測されています。
昭和13年(1938年)8月8日に国の史跡に指定され、その後昭和53年(1978年)3月24日には史跡の追加指定と統合指定が行われ、「八女古墳群」として指定名称が変更されました。
後円部の中央には、緑泥片岩で平石積みされた横穴式石室があり、その中に横口式の組合式家形石棺が安置されています。この石棺は蓋が寄棟造で底辺長2.8メートル、側面には縄掛突起が造り出されているのが特徴です。石棺の身は4枚の板石で組み立てられており、高さ1.4メートル、長さ2.3メートルに及びます。
石棺の蓋には、直弧文や重圏文の模様が彫刻され、さらに丹彩が施されています。これらの装飾は日本の装飾古墳の中でも最も古い時期に属するものであり、歴史的価値が高いとされています。石室は江戸時代に開かれ、天井部が失われましたが、現在は保護施設に覆われており、見学者は覗き込む形で内部を見ることができます。
石室の前には、「石人社」と呼ばれる社があり、そこに国の重要文化財である武装石人が安置されています。この石人が「石人山古墳」という名前の由来となっています。江戸時代の古記録にも登場するこの石人は、南筑後地域で最も古い石人の一つであり、みやま市の石神山古墳にある武装石人と並び、地域の歴史を物語る貴重な文化財です。
この石人は阿蘇溶結凝灰岩で作られており、高さ約1.8メートルです。三角板短甲や草摺を身につけ、左脇には石刀を帯びるためのくぼみが彫られています。現在では顔の一部が欠け、上半身の模様も不鮮明ですが、江戸時代の模写図には目や鼻、口が描かれており、往時の姿を想像することができます。
この石人は、痛みのある体の部分を石人の同じ場所に打ちつけると痛みが和らぐと信じられてきました。このため、手や足、腰、肩などが特に打たれたり撫でられたりして、現在のように模様が失われた状態になっています。地域の信仰の対象として、古くから人々の健康祈願の象徴となっていたことが伺えます。
石人山古墳へのアクセスは以下のとおりです。
JR九州鹿児島本線・西牟田駅からタクシーで約8分でアクセス可能です。また、羽犬塚駅から西鉄バス(高良台経由西鉄久留米駅行き)に乗車し、「一条」バス停で下車後、徒歩約15分(約1.2km)で到着します。
九州自動車道広川インターチェンジから約4.8キロメートルの距離にあります。周辺の観光スポットと合わせて訪れると、より充実した旅が楽しめるでしょう。
石人山古墳の周辺には、福岡県の歴史や文化を学べる観光地が点在しています。以下の関連項目にも興味を持つことで、より豊かな旅の経験ができるでしょう。
石人山古墳と八女古墳群を巡ることで、古代日本の歴史や文化の奥深さに触れる貴重な機会を楽しんでください。