立花氏庭園は、福岡県柳川市に位置し、旧柳川藩主立花家の御屋敷と庭園を中心とした場所です。この庭園は、江戸時代の元文三年(1738年)に、柳川藩五代藩主の立花貞俶が築いた別邸が始まりとなっています。この地は、かつて「御花畠」と呼ばれ、藩主家の人々が暮らすための場所として機能しました。明治時代に入ると、立花家は伯爵に昇格し、屋敷や庭園も整備されました。そして、1910年には、洋館と和館が並び立つ現在の形で「立花伯爵家住宅」が完成しました。この住宅が、立花氏庭園の主要建造物を構成しています。
1978年8月25日、屋敷地の西半分が「松濤園(しょうとうえん)」として国の名勝に指定されました。その後、2011年9月21日には東庭園も追加指定され、屋敷地全域が名勝「立花氏庭園」として指定されることになりました。この名勝指定により、立花氏庭園は日本の重要文化財の一つとして、その価値が高く評価され続けています。
松濤園は、明治期に整えられた近代和風庭園で、池を中心に280本もの松が配置された美しい庭です。特に池の岩島の配置には、当時の伯爵立花寛治の意向が強く反映されており、独特の景観が広がっています。池の水は、かつての柳川城の堀の水を循環させており、そのため冬には野鴨が飛来し、季節ごとの自然の風物詩を楽しむことができます。
地元の人々からは「御花」と呼ばれ、親しまれてきたこの地は、戦後、立花家によって料亭旅館として運営されるようになりました。この料亭旅館としての「柳川御花」は、大名文化の香りを今に伝え、美しい庭園とともに訪れる観光客を魅了しています。立花氏庭園はその見事な景観と歴史的価値により、福岡県柳川市の重要な観光スポットの一つとなっています。
立花氏庭園の歴史は、元禄10年(1697年)に遡ります。当時、柳川藩主立花鑑虎が隠居した際に、普請方の田尻惟貞(惣助)に命じて、総面積約7,000坪に及ぶ別邸「集景亭」を建てました。この別邸は、その後の柳川藩の歴史において、藩主の遊息の地として利用されることになりました。藩主家の奥機能も次第にこの地に移転し、やがて藩主家の別邸としての重要な役割を果たすようになります。
元文2年(1737年)、柳川城二の丸御殿が手狭になったことから、藩主家の奥機能を移転する計画が持ち上がりました。当時、藩主立花貞俶は花見や相撲見物を楽しんでいた三の丸の茂庵小路御茶屋でも手狭であったため、広大なかつての鑑虎の別邸が移転先として選ばれました。そして、元文3年(1738年)には、二の丸座敷の移築が行われ、「御花畠」として藩主家の新たな居住地が完成しました。
この「御花畠」は、柳川藩の奥として藩主の私宅となり、柳川城と行き来する重要な役割を果たしました。嘉永3年(1850年)以降は、藩主も御花畠に常駐するようになり、事実上柳川藩主家の国元の本拠地となりました。
明治時代に入り、立花氏庭園はさらに大きな変革を迎えました。1909年から1910年にかけて、立花家14代当主立花寛治によって、庭園や建物が新たに整備されました。特に洋館と和館が並び立つスタイルは、当時の日本の建築様式としても注目され、現在の立花氏庭園の形がこの時に完成したのです。
戦後、1950年に立花家16代当主立花和雄は、「柳川御花」として料亭と旅館の営業を開始しました。このように、立花氏庭園はその歴史的な背景を持ちながらも、現代においてもなお多くの人々に愛され続けています。
立花氏庭園は、その美しい景観と歴史的背景から、映画『風が通り抜ける道』のロケ地としても利用されました。この映画は、2023年のカンヌ国際映画祭や沖縄国際映画祭にも出品された作品で、2024年に一般劇場公開が予定されています。庭園の静かな佇まいと映画の物語が見事に融合し、訪れる人々に深い感動を与えています。
立花氏庭園へのアクセスは、福岡県柳川市の中心部から非常に便利です。西鉄天神大牟田線の西鉄柳川駅から、堀川バスや西鉄バスを利用して簡単に訪れることができます。また、車で訪れる場合も、九州自動車道みやま柳川インターチェンジから約11kmの距離に位置しており、アクセスも良好です。
立花氏庭園には、庭園だけでなく、宿泊や食事を楽しむことのできる施設も充実しています。松濤館や対月館では、食事や宿泊のサービスを提供しており、庭園の美しさを眺めながら贅沢なひとときを過ごすことができます。また、立花家史料館では、立花家に関する貴重な資料が展示されており、歴史愛好家にとっても見逃せないスポットです。
立花氏庭園は、その美しい景観と深い歴史的背景を持つ場所として、訪れる人々に感動を与え続けています。日本の名勝として国に指定されたこの庭園は、立花家の歴史と文化を感じることのできる貴重な場所です。ぜひ、福岡県柳川市を訪れた際には、この美しい庭園を堪能してみてはいかがでしょうか。