如意輪寺は、福岡県小郡市横隈に所在する真言宗御室派の寺院で、山号は清影山です。本尊として、日本で唯一寺院に安置されている立像の如意輪観音があり、これは福岡県指定文化財に指定されています。この如意輪観音立像は、平安時代後期に作られたと考えられており、その歴史的・文化的価値から多くの参拝者が訪れます。
如意輪寺は「かえる寺」という愛称でも広く知られ、境内には約10,000体のかえるの置物やオブジェが所狭しと並べられています。この独特な風景が訪れる人々を魅了し、インスタ映えスポットとしても人気を集めています。
如意輪寺は、729年に孝謙天皇の勅願により、行基が開創したと伝えられています。『元禄十年井上組寺社開基』(1697年)の記録によると、奈良時代からその歴史が続く由緒ある寺院です。しかし、江戸時代初期には衰退し、わずかに茅舎1堂のみが残る状況にまで至りました。これを惜しんだ久留米藩主の有馬忠頼により、寺院は再興されます。
その後、有馬豊祐が久留米藩から分知され松崎藩を創設すると、如意輪寺は松崎藩の管理下に入りました。しかし、1684年の松崎藩改易に伴い寺院は再び衰退します。元禄5年(1692年)、郷民の支援により再興が成され、最終的には久留米藩治下に戻りました。こうして、江戸時代を通じて如意輪寺は再び繁栄を取り戻しました。
1778年(安永7年)、如意輪寺は久留米藩主有馬頼徸によって筑後三十三観音霊場第8番札所に指定されました。この指定により、寺院は巡礼者や信仰を集め、地域の霊場として重要な役割を果たすようになりました。寺院は「横隈観音」とも呼ばれ、地域に根付いた信仰の場として今も続いています。
如意輪寺の本尊である如意輪観音立像は、日本で非常に珍しい立像形式であり、寺院に安置されているものとしては唯一の存在です。一般的な如意輪観音は座像や半跏像であり、立像は極めて貴重です。この像は一木造で、桧の一本の木から削り出されており、平安時代後期に作られたとされています。
この如意輪観音は、「如意宝珠」と「法輪」を持つ一面六臂の姿で表現され、願いを思い通りに叶える観音として信仰されています。子安観音としても広く信仰され、12年に一度、巳年にのみ秘仏として開帳されます。そのため、この観音像は多くの人々に「思いが叶う観音様」として篤い信仰を集めてきました。
如意輪寺は「かえる寺」としても有名で、境内には約10,000体のかえるの置物が飾られています。住職が中国旅行の際にかえるの置物を持ち帰ったのをきっかけに、徐々にかえるの数が増えていきました。このユニークなかえるのオブジェが参拝者に癒しを与え、インスタグラムなどSNSでも話題となり、国内外からの観光客が訪れる寺院となりました。
如意輪寺は、「無事かえる」「元気がかえる」「お金がかえる」といった、かえるにちなんだご利益でも知られています。これらの言葉が示すように、交通安全、長寿、金運などに対してパワースポットとしての信仰が篤く、参拝者にとっては心の拠り所となっています。かえるのオブジェとともに、如意輪寺は楽しく参拝できるオープンな雰囲気を持つお寺として多くの人々に愛されています。
如意輪寺の境内は、桜、新緑、しゃくなげ、アジサイ、紅葉といった四季折々の美しい風景を楽しむことができます。特に、春の桜や初夏のアジサイは見応えがあり、写真愛好家たちにとっても魅力的なスポットとなっています。
夏には「風鈴まつり」が開催され、境内には数千個の風鈴が飾られます。参拝者は自分の願いを風鈴に書き込むことができ、その音色が風に乗って響くさまは幻想的な風景を作り出します。風鈴まつりは毎年多くの観光客を引き寄せ、如意輪寺の夏の風物詩となっています。
如意輪寺では、年間を通じてさまざまな行事が行われています。以下は主な年中行事の一覧です。
如意輪寺へは、西鉄天神大牟田線の三沢駅から徒歩約15分でアクセスできます。駅からの距離も比較的近く、公共交通機関を利用する参拝者にとって便利です。
車で訪れる場合は、大分自動車道の筑後小郡インターチェンジから約10分で到着します。駐車場も完備されており、遠方から訪れる観光客にとってもアクセスしやすい場所です。
如意輪寺は、その歴史的な価値や文化財としての如意輪観音立像に加え、かえるのオブジェや四季折々の美しい風景で多くの人々に親しまれています。地元の信仰や観光の場として、またインスタ映えスポットとしても注目を集めるこの寺院は、今後も多くの参拝者や観光客に愛され続けることでしょう。