五穀神社は、福岡県久留米市通外町にある神社で、豊宇気比売神(とようけひめのかみ)を主祭神として祀っています。相殿には稲次因幡正誠公(いなつぎいなばまさざねこう)を祀り、東芝の創業者である田中久重とも深いゆかりを持つ神社です。この神社は神社本庁に包括されており、豊かな歴史と地域との結びつきが感じられる神社です。
境内の一角には「郷学の森」というエリアがあり、ここには久留米市出身の著名な6人の胸像が設置されています。彼らは井上伝、田中久重、倉田泰蔵、石橋正二郎、石橋徳次郎、楢橋渡といった、久留米の発展に寄与した偉人たちです。このエリアは、彼らの功績を後世に伝えるために整備されており、地域の歴史を学ぶ場としても人気です。
五穀神社の創建は、寛延2年5月23日(西暦1749年)に遡ります。この時、地域の農業の守護神として豊宇気比売神が祀られ、農民たちの生活を支える存在として崇められました。
豊宇気比売神(とようけひめのかみ)
伊勢神宮外宮に祀られている神様のご分霊として、五穀神社においても豊宇気比売神が主祭神として祀られています。この神様は、五穀豊穣や商売繁盛、そして私たちの日々の生活全般を見守るとされ、地域の人々から厚く信仰されています。
稲次因幡正誠公(いなつぎいなばまさざねこう)
稲次因幡正誠公は、久留米藩の家老として農民たちの重税に苦しむ声を聞き入れ、減税を約束した人物です。しかし、その後の藩内の対立から幽閉され、34歳の若さで亡くなりました。彼の人徳と正義感が農民たちに深く感銘を与え、彼の死後12年目に五穀神社の相殿に祀られることとなりました。
久留米藩主であった有馬頼徸(よりゆき)公が、現市内通外町に五穀豊穣を祈願するために、五穀神社を創建したと伝えられています。この神社は、江戸時代の初期に廃寺となった真言宗の寺院、円通寺を復興し、その境内に建立されました。また、頼徸公は大悲堂を建設し、如意輪観音を祀るなど、神仏習合の信仰が色濃く反映された神社でもあります。
その後も五穀神社は地域の農業と深い関わりを持ち続け、農業の神様として人々の生活を見守り続けています。
五穀神社では、年間を通してさまざまな祭典が執り行われています。以下に主な祭典をご紹介します。
新年の始まりを祝う祭りで、多くの参拝者が訪れます。新しい年の無事と五穀豊穣を祈願する行事です。
この祭りでは、五穀豊穣を願っておかゆが炊かれ、参拝者に振る舞われます。地域の伝統的な行事であり、親しまれています。
2月のおかゆ炊き祭と同様に、豊作を祈るためのおかゆを炊く行事です。地域の農業に感謝を捧げる重要な祭典です。
天満宮にまつわる春の祭りで、学問の神として知られる菅原道真公を称え、多くの参拝者が訪れます。
五穀豊穣を祈願し、暑い夏を無事に過ごすための夏祭です。地域の人々が集まり、神事や祭りのイベントが行われます。
五穀神社の最も重要な祭典で、地域の人々が一体となって神様に感謝し、豊作を祝う行事です。
秋葉神社にまつわる祭りで、火防(ひぶせ)の神として祀られる味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)を称える行事です。
五穀神社の境内には、いくつかの末社が存在します。これらの神社も、地域の人々に信仰され、様々な祭典が行われています。
ご祭神: 菅原道真公
学問の神である菅原道真公を祀っており、特に学生や受験生に信仰されています。
ご祭神: 味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)
火防の神として祀られ、家庭や地域の安全を守る神様として崇敬されています。
五穀神社へは、西鉄久留米駅から徒歩10分で到着します。また、西鉄バスを利用する場合、「久留米五穀神社前バス停」で下車すると便利です。