福岡県 » 柳川・久留米・筑後

高良大社

(こうら たいしゃ)

高良大社は、福岡県久留米市の高良山に鎮座する神社で、式内社(名神大社)および筑後国の一宮として知られています。かつては「高良玉垂命神社」や「高良玉垂宮」とも呼ばれていました。現在は神社本庁の別表神社で、旧社格は国幣大社です。

立地と歴史的背景

高良大社は久留米市の中心部から東方に位置し、古くから筑紫の国魂(くにたま)として信仰されてきました。筑後地方全域だけでなく、肥前地方の有明海に面した地域にも広く信仰を集めており、厄除けや開運、延命長寿、そして交通安全の神としても知られています。また、芸能の神としても崇拝されています。

社殿と建築の特色

高良大社の社殿は国の重要文化財に指定されており、その規模は九州最大級です。現在の社殿は、久留米藩第3代藩主・有馬頼利による寄進で、万治3年(1660年)に本殿が、寛文元年(1661年)に幣殿と拝殿が完成しました。神社建築としては非常に壮大で、美しい造りが特徴です。

祭神とその神紋

正殿の祭神

左殿の祭神

右殿の祭神

本殿内には「御客座(みきゃくざ)」と呼ばれる祭壇があり、豊比咩大神(とよひめおおかみ)が合祀されています。高良玉垂命と豊比咩大神は夫婦神とされる説もあり、厳かな雰囲気を漂わせています。

高良大社の起源と伝説

高良大社の起源については、『延喜式神名帳』に「筑後国三井郡 高良玉垂命神社」と記載されており、名神大社として筑後国一宮に列せられています。伝説によれば、もともと高良山には高木神(高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、この山は「高牟礼山(たかむれやま)」と呼ばれていました。高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出たところ、高木神がこれを許し、玉垂命は結界を張って鎮座したと言われています。この故事から、山の名称も「高牟礼」から「高良」に転じたとされています。

高木神と高牟礼の名残

現在でも、かつての氏神であった高木神は、麓の二の鳥居の手前にある「高樹神社」に鎮座しています。久留米市御井町には「高牟礼市民センター」という名称の市役所支所があり、また、市内のいくつかの小中学校の校名や校歌には「高牟礼」の名前が残されています。これらは高良大社の歴史と伝説が、現在も地域に深く根付いていることを示しています。

神仏分離と奥宮

高良大社には奥宮(奥の院)があり、御井町字奥の谷に鎮座しています。古くは「高良廟」「御神廟」あるいは「語霊廟」とも呼ばれ、武内宿禰(たけのうちのすくね)の葬所とされていました。境外末社として水分神社(みくまりじんじゃ)があり、祭神は水分神です。例祭は11月13日に行われ、奥宮境内に鎮座しています。

豊比咩神社

豊比咩神社(とよひめじんじゃ)は、式内社(名神大社)であり、現在は高良大社の摂社として本殿に合祀されています。祭神は豊比咩大神(豊玉姫命)で、筑後国三井郡の式内社3座の一つとされています。天安元年(857年)に社殿を焼失し、その後、高良玉垂宮にも被害が及んだ記録があります。貞享2年(1685年)には末社として再興されましたが、その社殿は現在、真根子神社のものとして利用されています。

摂末社と兼務社

高良大社には多数の摂末社や兼務社があります。『玉垂宮賓殿及境内末社記』によれば、ここには発心権現(発心三社大権現)なども末社として記されています。以下に代表的な摂末社を紹介します。

奥宮

高良大社奥宮(奥の院)

高良大社の奥宮は、御井町字奥の谷に鎮座しています。古くは「高良廟」や「御神廟」、または「語霊廟」とも呼ばれ、武内宿禰の葬所とされていました。これにより、高良玉垂命に比定される場所として知られています。

水分神社(みくまりじんじゃ)

水分神社は高良大社奥宮の境内にある境外末社で、祭神は水分神(みくまりのかみ)です。例祭は11月13日で、初寅祭は毎月初寅日に行われます。この神社は、かつて「高隆寺毘沙門堂」として知られていましたが、明治の神仏分離により改められ、現在の形になりました。

境内の概要

高良大社の境内は、三の鳥居から本坂、下向坂(げこうざか)にかけて広がっています。現在の本参道は本坂ですが、かつては下向坂の石段が主な参道でした。ここでは、豊比咩神社をはじめとするいくつかの神社を紹介します。

豊比咩神社(とよひめじんじゃ)

豊比咩神社は、名神大社としても知られる式内社で、かつては筑後国三井郡にありました。祭神は豊比咩大神(豊玉姫命)で、天安元年(857年)には社殿が焼失する災禍を経験しました。その後、明治維新のころに御井町字清水の「新清水観音堂」境内に再興され、1873年(明治6年)には県社に列格しました。しかし、1936年(昭和11年)に廃社され、現在は高良大社本殿に合祀されています。

境内の摂末社

高良大社の境内には、さまざまな摂末社が鎮座しており、それぞれに歴史と役割があります。以下にいくつかの代表的な摂末社を紹介します。

市恵比須社(いちえびすしゃ)

市恵比須社は、夫婦恵比須神を祭神とする境内社で、例祭(えびす大祭)は9月25日に行われます。かつては麓の御井町字府中にあり、市を開く際に恵比寿神を勧請するのが通例でした。

印鑰神社(いんにゃくじんじゃ)

印鑰神社は、武内宿禰公を祭神とする境内末社で、1873年(明治6年)に御井町字宗崎にある印鑰神社から勧請されました。「印鑰社」とも呼ばれ、摂末社例祭は11月13日に行われます。

高良御子神社(こうらみこじんじゃ)

高良御子神社は、高良玉垂命の御子神9柱(九躰皇子)を祀る境内摂社で、例祭は11月13日、月次祭は毎月13日に行われます。1873年(明治6年)に山川町字王子山から勧請されました。

御子神9柱の紹介

真根子神社(まねこじんじゃ)

真根子神社は、壱岐真根子命を祭神とする境内末社です。例祭は11月13日に行われ、「真根子社」とも呼ばれます。現在の社殿は、貞享2年(1685年)に再興された豊比咩神社の旧社殿で、1935年(昭和10年)には五所八幡宮、日吉神社、風浪神社を合祀しました。

五所八幡宮(ごしょはちまんぐう)

五所八幡宮は、古くは「五社八幡」または「五所神社」とも称され、肥前千栗、豊前大分、肥後藤崎、薩摩鹿児島、大隅霧島を祭神としています。

日吉神社(ひよしじんじゃ)

日吉神社は、大山咋命を祭神とする境内末社で、かつては「山王七社」とも称されました。

風浪神社(ふうろうじんじゃ)

風浪神社は、綿津見神を祭神とし、古くは「風浪権現」や「風浪社」と称されていました。

山内の境内社

高良大社の山内には、多くの境内社が点在しています。それらは古くからの信仰の対象であり、現在も多くの参拝者が訪れます。

鏡山神社(かがみやまじんじゃ)

鏡山神社は、高良玉垂命の分祖を祭神とし、例祭は11月13日に行われます。もともとは麓の御井町字賀輪にありましたが、九州自動車道の建設に伴い、現在の場所である高良山二十六ヶ寺の中院跡に遷座されました。高良大社宝物館に収められている四雲文重圏規距鏡が祀られていました。

伊勢天照御祖神社(いせあまてらすみおやじんじゃ)

伊勢天照御祖神社は、式内社(小)であり、天照大神を祭神とします。例祭は11月13日に行われ、御井町字中谷に鎮座しています。延喜式内社として古くからの歴史を持つ神社です。

十二神社(じゅうにじんじゃ)

十二神社は、伊弉諾命、伊弉冊命、瓊々杵尊をはじめとする12柱の神々を祀る神社です。古くは山川町字杉山に鎮座していましたが、昭和初期に山中の地に遷座されました。

土蜘蛛塚(つちぐもづか)

土蜘蛛塚は、古くから伝わる土蜘蛛の神話に基づいており、その塚として現在も残されています。土蜘蛛(ちちぶ)と呼ばれた人々が葬られた場所とされています。

神階の推移

高良玉垂命は古代から朝廷により高い神階を与えられてきました。『日本紀略』や『続日本後紀』、『日本三代実録』などの古文書に記載があり、以下のように神階が授けられています。

主な祭事

式年祭:御神期祭

高良大社では、50年に一度の盛大な祭礼である「御神期祭」が行われます。この祭りは、1792年(寛政4年)に始まり、直近では1992年(平成4年)に「千六百年御神期大祭」として開催されました。この際、猿田彦、獅子舞、風流(ふりゅう)を先導に、神輿行列が久留米市街地まで練り歩く「神幸祭」が執り行われ、多くの人々で賑わいました。次回の御神期祭も、久留米市の大きなイベントとして期待されています。

年間の主な祭事

高良大社では年間を通じて様々な祭事が行われます。中でも以下の2つが特に有名です。

川渡祭(へこかき祭)

毎年6月1日と2日に開催される川渡祭は、別名「へこかき祭」として親しまれています。この祭りでは、子どもたちが川を渡る儀式が行われ、健康や無病息災を祈願します。地元の伝統行事として、長年にわたり継承されています。

例大祭(高良山くんち)

10月9日から11日にかけて行われる例大祭は「高良山くんち」と呼ばれ、秋の収穫を祝い、五穀豊穣を祈願する祭りです。この期間中、神社境内では様々な神事やイベントが行われ、多くの参拝者で賑わいます。

文化財

高良大社は、国指定の重要文化財や天然記念物を数多く有しています。これらの文化財は神社の歴史的価値を物語るとともに、その保存と継承が重要な課題となっています。

重要文化財(国指定)

本殿・幣殿・拝殿

本殿・幣殿・拝殿は1972年(昭和47年)5月15日に国の重要文化財に指定されました。これらの建物は、江戸時代の建築様式を伝え、見事な彫刻や装飾が施されています。神社の中心的な建物として、参拝者に荘厳な雰囲気を提供しています。

大鳥居(一の鳥居)

大鳥居は明暦元年(1655年)に久留米藩第2代藩主の有馬忠頼により寄進されました。田主丸石垣から領民によって運ばれた石材が使用されており、その巨大な石造りの鳥居は迫力があります。1972年5月15日に国の重要文化財に指定されました。

しかし、1978年(昭和53年)に大型車両が接触し、貫が破損したため、この部分だけが新しく修復されています。また、2023年5月3日には乗用車が飲酒運転により大鳥居に衝突する事故が発生し、再び修復が必要となりました。

紙本墨書平家物語(覚一本)

寛政9年(1797年)に僧の寂春が奉納した「紙本墨書平家物語(覚一本)」も高良大社の重要文化財です。この書物は、平家物語の中でも特に貴重な写本とされ、1911年(明治44年)4月17日に国の重要文化財に指定されました。

天然記念物(国指定)

高良山のモウソウキンメイチク林

1974年(昭和49年)11月25日に国の天然記念物に指定された「高良山のモウソウキンメイチク林」は、希少な竹林です。この竹林は、樹齢数百年を超える竹が生い茂り、その風景は訪れる人々に静寂と癒しを与えます。

福岡県指定有形文化財

高良山御手洗橋

高良山の山中にある「高良山御手洗橋」は、福岡県指定の有形文化財です。この橋は、長い歴史を持ち、昔ながらの建築技術で作られた美しい石橋で、風情のある景観を作り出しています。

絹本著色高良大社縁起

「絹本著色高良大社縁起」は、福岡県指定の有形文化財であり、高良大社の由来や歴史が描かれた絵巻物です。その精巧な絵画表現と歴史的価値から、貴重な文化財として大切にされています。

高良大社所蔵文書

高良大社には、多くの歴史的文書が所蔵されており、これらも福岡県指定有形文化財に指定されています。これらの文書には、神社の歴史や祭礼、地域の出来事などが記録されており、地域史の研究においても貴重な資料となっています。

福岡県指定天然記念物

高良大社の樟樹

高良大社境内には、巨大な樟樹がそびえ立っており、これが福岡県指定の天然記念物とされています。この樟樹は樹齢数百年を超えるとされ、その圧倒的な存在感と豊かな生命力で、多くの参拝者を魅了しています。

久留米市指定天然記念物

高良大社のツツジ群生地

高良大社の境内には、美しいツツジの群生地があります。春になると色とりどりのツツジが咲き乱れ、その風景はまるで花の絨毯のようです。このツツジ群生地は久留米市指定の天然記念物として保護されており、多くの花見客が訪れる名所となっています。

久留米市指定無形民俗文化財

高良山獅子舞

高良大社では、古くから伝わる「高良山獅子舞」が久留米市指定無形民俗文化財として保存されています。この獅子舞は、悪霊を追い払うとともに、豊作を祈願する伝統的な舞で、地元の人々によって受け継がれてきました。毎年の祭りや特別な行事の際に披露され、多くの観光客や参拝者を魅了しています。

交通アクセス

鉄道でのアクセス

高良大社へはJR九州久大本線の「久留米大学前駅」からタクシーで約9分(4.3km)の距離にあります。また、JR久留米駅や西鉄久留米駅方面からは、西鉄バスを利用することができます。

車でのアクセス

車を利用する場合、九州自動車道の久留米ICから約30分で到着します。高良大社の周辺には駐車場も完備されているため、車でのアクセスが便利です。

徒歩でのアクセス

久留米市の中心部から高良山を徒歩で登ることもできます。登山道が整備されており、自然豊かな風景を楽しみながらのハイキングもおすすめです。

高良大社は、久留米市とその周辺地域に深く根付いた歴史と信仰を持つ神社であり、その壮大な社殿や豊かな歴史は訪れる者に感動を与えます。これからも地域の守り神として、多くの人々に崇敬され続けることでしょう。

Information

名称
高良大社
(こうら たいしゃ)

柳川・久留米・筑後

福岡県