沖端水天宮は、福岡県柳川市稲荷町に位置する神社です。この神社は水天宮として知られ、地元の人々からは「水天宮さん」と呼ばれ親しまれています。登記上の正式な宗教法人名称は「水天宮」とされており、明治2年(1869年)に久留米水天宮の分霊を勧請して創祀された神社です。また、稲荷神社と弥剣神社(祇園社)を合祀しています。歴史と伝統を持ち、毎年多くの参拝者が訪れる地元の重要な神社です。
沖端水天宮の主祭神は、安徳天皇です。安徳天皇は、平安時代末期の天皇であり、壇ノ浦の戦いにおいて幼い命を落とした悲劇の天皇として知られています。沖端水天宮は、この安徳天皇を祀る神社として、特に水の神としての信仰が篤く、水難除けや水商売、農業、漁業、子授かり、安産など、多様なご利益があるとされています。
沖端水天宮は、明治2年(1869年)に久留米水天宮から分霊を勧請したことにより創祀されました。この際、同地区内にあった稲荷神社と弥剣神社(祇園社)も合祀されました。稲荷神社は、文禄3年(1587年)に柳川藩主であった立花宗茂によって創祀された神社であり、弥剣神社は文化年間(1804年〜1818年)に創祀された比較的新しい神社です。これらの神社が統合され、今日の沖端水天宮が形成されました。
沖端水天宮では、特に「水難除け」のご利益が有名です。夏場に多くなる水難事故を防ぐため、地元では水難除けのお守りが信仰されています。このお守りは、木製のひょうたんの形をしており、特に子どもたちが水遊びの際に首から下げて守護を願う習慣が続いています。また、水に関連した守護だけでなく、農業や漁業、さらに子授かりや安産のご利益もあるとされています。
沖端水天宮の祭りは、毎年5月3日から5日までの3日間にわたって行われます。この祭りは「水天宮大祭」として知られ、水難除けの祈願が行われる大切な行事です。特に、地元では舟舞台「三神丸」が掘割に浮かべられ、その上で芝居や水天宮囃子が奉納される独特の伝統があります。この水天宮囃子は、別名「オランダ囃子」とも呼ばれており、地域の文化と伝統が色濃く反映された祭りです。
毎年2月の初午日に行われる初午祭は、稲荷神社に由来する祭りです。稲荷神社はもともと沖端水天宮の合祀前に存在していた神社であり、商売繁盛や五穀豊穣を願う祭りとして長年続けられてきました。特に、農業が盛んな地域においては重要な行事であり、多くの参拝者が訪れます。
祇園祭は、7月20日と21日に行われる祭りで、かつての弥剣神社(祇園社)に由来しています。この祭りは、疫病除けや健康祈願を主な目的とし、地域の人々にとって重要な夏の行事となっています。特に、かつて流行した疫病を鎮めるために行われた祇園祭は、現代でもその伝統を受け継いでおり、多くの参加者で賑わいます。
沖端水天宮へは、公共交通機関を利用して簡単にアクセスできます。最寄り駅は西鉄天神大牟田線の柳川駅で、そこから西鉄バス「早津江」行きに乗車し、「水天宮入口」バス停で下車すると、徒歩約4分で到着します。また、「御花前」バス停で下車して徒歩6分でもアクセス可能です。堀川バスを利用する場合、「かんぽの宿柳川」行きに乗車し、終点の同バス停で下車、徒歩約8分で到着します。また、柳川駅からタクシーを利用すれば、約10分で到着します。
沖端水天宮は、柳川市の観光エリアに位置しており、周辺にはさまざまな観光スポットが点在しています。特に、水郷柳川の川下りは有名で、美しい掘割を舟で巡ることができます。また、柳川市はうなぎのセイロ蒸し料理でも有名で、訪れた際にはぜひ味わっていただきたい一品です。
沖端水天宮からほど近い場所には、詩人であり歌人として知られる北原白秋の生家や記念館があります。北原白秋は柳川市出身の著名な文学者で、その功績を称えるための記念館が設立されています。ここでは、北原白秋の作品や生涯について学ぶことができ、文学に興味がある方には見逃せないスポットです。
沖端水天宮は、福岡県柳川市にある歴史と伝統を持つ神社であり、地元では「水天宮さん」として親しまれています。安徳天皇を祀り、水難除けや子授かり、安産、農業、漁業など、多くのご利益があるとされ、毎年多くの参拝者が訪れます。特に、5月の水天宮大祭では、地域の伝統行事である舟舞台「三神丸」や水天宮囃子が奉納され、地域の文化と信仰が融合した祭りが行われます。また、交通アクセスも良く、柳川市の観光スポットとも連携しているため、観光ついでに訪れることもおすすめです。