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早鐘眼鏡橋

(はやがね めがねばし)

早鐘眼鏡橋は、福岡県大牟田市に位置する石造眼鏡橋で、日本の歴史や技術を感じさせる重要な文化財です。この橋は、1674年(延宝2年)に三池藩によって灌漑用の水路橋として建設され、現在は国の重要文化財に指定されています。その美しい石造りのアーチ構造と、日本初の石造水道橋という歴史的背景により、観光スポットとしても人気があります。

歴史的背景

灌漑用水路の必要性

三池藩は、灌漑問題に直面していました。特に1637年(寛永14年)の島原・天草の乱の年、大旱魃(かんばつ)により、片平村や下二部村などの農地では稲の収穫が全くなく、農民たちは非常に苦しんでいました。この状況を改善するため、藩は灌漑用の堤を築く決断を下します。

早鐘谷の堤と水路橋の建設

まず、三池藩の指導者であった平塚喜右衛門信昌らが、早鐘谷に堤を築きました。この堤は高さ10メートル、幅80メートルの大規模なもので、堰が崩れないように周囲には松や竹が植えられました。その後、この堤から流れる水を、逆川と呼ばれる川の上に通すための構造が必要となり、そこで石造橋が計画されました。藩は長崎にある石造橋の技術を参考にし、1674年に早鐘眼鏡橋が完成しました。

早鐘眼鏡橋の構造と技術

独自の設計と技術

早鐘眼鏡橋は、日本初の石造水道橋であり、独自の設計が施されています。橋の形状は、半円型ではなく、3分の1円のアーチが採用されました。これは、橋を低くしつつも、十分な水流を確保するための工夫です。この設計により、逆川の水が橋の下を安全に流れることができ、洪水の危険を回避しました。さらに、橋には158分の1の勾配がつけられており、適度な水流を維持しつつ周辺の農地に水を供給する役割を果たしました。

建設に使用された石材

橋の建設には、地元で産出される阿蘇溶結凝灰岩が使用されました。この石材は大牟田市櫟野地方から採掘され、当時の技術者たちが巧みに加工して橋を築き上げました。しかし、これに関わった石工たちの名前は残されていません。

橋の多目的利用

早鐘眼鏡橋は、灌漑用の水路橋としてだけでなく、人馬の交通にも利用されました。橋の水流は1889年まで生活用水としても利用され、地域の人々の暮らしを支え続けました。また、橋の周辺では堰提がゴルフ場として整備され、今日では橋だけが当時の姿を残し、その歴史を語り継いでいます。

観光としての魅力

現在では、早鐘眼鏡橋は歴史的価値の高い観光名所として、多くの観光客に親しまれています。橋の美しいアーチ形状と、背景にある技術革新の歴史を学ぶことができるこの場所は、歴史好きの方や建築に興味のある方にとっても必見のスポットです。橋のたもとには、当時の建設を記念する碑も立っており、その時代背景を感じながら橋を眺めることができます。

アクセス情報

早鐘眼鏡橋は、大牟田市早鐘町128に位置しています。アクセスは、JR大牟田駅から西鉄バスの有明高専行きに乗車し、「早鐘眼鏡橋」バス停で下車後、徒歩約1分です。観光の際には、ぜひこの歴史的な橋を訪れて、その壮大な構造と美しさを堪能してください。

早鐘眼鏡橋は、灌漑用水路の必要性から生まれた技術の結晶であり、今もその姿を美しく保っています。大牟田市を訪れる際には、ぜひこの歴史的な名所を訪れ、日本の土木技術の進歩を感じてみてはいかがでしょうか。

Information

名称
早鐘眼鏡橋
(はやがね めがねばし)

柳川・久留米・筑後

福岡県