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童男山古墳

(どうなんざん こふん)

福岡県八女市山内に位置する童男山古墳は、古墳時代後期に築かれたとされる重要な円墳で、八女古墳群の一部として福岡県指定史跡に認定されています。複数の横穴式石室を持つこの古墳は、徐福の墓として旅の安全祈願の対象であるほか、耳の神様としても崇拝されています。

概要

童男山古墳は、福岡県南部の八女丘陵最東部に位置し、星野川の北岸に築かれた大型円墳です。周囲には古墳が27基分布しており、これらを総称して童男山古墳群と呼びます。その中で童男山古墳は中心的な役割を果たしており、徐福が率いた伝承の地とされています。江戸時代にはこの古墳が既に開口され、1987年には八女市教育委員会による発掘調査が行われました。

立地と築造

童男山古墳は丘陵地の尾根上に築かれ、墳形は直径約48メートル、高さ約6.7メートルの円形です。古墳の内部には複室構造の横穴式石室が設けられ、南西方向に向かって開口しています。この石室は玄室、前室、羨道で構成されており、全長は推定18メートルとされています。

童男山古墳の埋葬施設

埋葬施設は複室構造の横穴式石室で、玄室、前室、羨道から構成されています。玄室には凝灰岩製の巨大な石屋形があり、中にはくり抜きの石棺が納められています。

石室の詳細

石室の石材には結晶片岩が使用され、玄室南東の腰石には花崗岩、石屋形や石棺、楣石などには凝灰岩が用いられています。玄室の四隅は丸みを帯びるように石材が配置され、天井には大きな扁平巨石が架けられています。石室内では、赤色顔料が残る石屋形も見つかっており、九州に多いコ字形の屍床配置を採用している点が特徴です。

歴史的記録と徐福伝説

童男山古墳には古来より徐福伝説が伝わっており、寛延2年(1749年)の『寛延記』嘉永6年(1853年)の『筑後将士軍談』にもこの古墳が記載されています。嘉永6年の記録では、福島城築城時に石材として一部が崩されたことも記されています。古墳の名称「童男山」は、徐福が連れてきたとされる童男草女の伝承に由来するとされています。

文化財指定と保存活動

童男山古墳は1956年7月28日に福岡県指定史跡として登録されました。これにより、古墳とその周辺環境は文化財として保護され、地元の歴史と観光資源としての重要性が認識されています。

関連施設

童男山古墳に関連して、八女市吉田にある岩戸山歴史文化交流館(いわいの郷)が設置され、来訪者に古墳時代の歴史や文化を学ぶ機会を提供しています。

童男山ふすべと伝承行事

童男山古墳では、毎年1月20日に「童男山ふすべ」と呼ばれる徐福の慰霊祭が行われ、地元の人々による焚き火が石室前で焚かれます。これは、徐福伝説に基づき、旅の安全を祈願する行事として長年にわたり継承されています。

アクセス

童男山古墳は以下の交通手段でアクセス可能です。

童男山古墳は八女市を訪れる観光客にとって見逃せない歴史的名所の一つであり、古墳時代に関する貴重な文化遺産として保存されています。

Information

名称
童男山古墳
(どうなんざん こふん)

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